とりもどしたくなった

たとえば「死にたい」とTwitterに書いたとして、そうすると「どうしたの?」とか「大丈夫?」ってリプライがつくかもしれないし、親切な人のなかにはわざわざ直接連絡をくれる人がいるかもしれない。そのなかの気を許せる相手には、なぜ「死にたい」と書き込むに至ったかをぼそぼそとちょっとずつ話すことができるかもしれない。

 

いま別に死にたいわけでも、だれかに過剰な心配をされたいわけでもない。「死にたい」は大げさでわかりやすいかなという例。そうではなくて、たとえば「死にたい」って書き込むまでに起きたことがらや気持ちの変化についてもう少しちゃんと説明できるようになりたいと思った。Twitterなのかなんなのかに毒されまくって、ことばの奥にある膨大な感情やそのグラデーションを見過ごす癖がついているんじゃないかと思うことが増えたのだ。

 

自分の思ったことや言いたいことをうまく伝えられなくて、もどかしさを感じるのは以前からだけど、そのレベルがいかんとこまで来てる。昨日もそんなことがあった。いまわたしはほぼ離職中なんだけど(この離職という状態そのものについても、周りからもらう反応と、自分の本心とにすごく乖離したものを感じる。だからそれも一回書いてみたい)、やさしい友人が「次はどんなことをするの?」と聞いてくれたときに、「いや、なんもしたくないし、はたらきたくない」と答えた。自分で言っといておかしなものだけど、これは本心からかけ離れていて、物ごとを単純化しまくってるし、考えることを止めてしまったような発言だ。言い放った瞬間からすぐにちりちりと嫌な気持ちが拡がるのを感じた。せっかく関心を持って話を聞いてくれる友人に対して不誠実だ。

 

そんなようなことを思う機会が増えたので、少しだけ立ち止まって物ごとを考えるくせをつけようと思い、そのためには少しだけ長めに、できるだけ自由に、なるべくうそつかないで書いてみると考えるとブログか、と思い至った。それがいろんなことを取り戻すために有効な気がしている。iPhoneのアプリに日記をつけていて、去年の12月からちまちまとメモ程度に思ったことを書き出していて、それはそれでセルフセラピーみたいな効果がある。だけどいま、表面張力ぎりぎりだったのがあふれた感じで、あと人間が卑しいところもあって、多少は人に読んでもらう可能性をおいておきたい。

 

とはいえ、いままでに何個もブログを開設しては放置、開設&放置、開設&放置・・・してきたものですから、とか言いつつ、まああんまり自分にプレッシャーかけるのもあれなんで(自分に甘い)、とりあえずのびのび書く、ということだけ決めて最初の日記は終わり。