リクナビペアーズマイナビティンダー

3か月前、むしゃくしゃしたのでペアーズに登録した。(いちおう説明するとマッチングアプリってやつです)まえに女の人4人でごはんを食べたとき、わたし以外の3人のうち、2人がペアーズで知り合った人と結婚、うち1人が交際していると聞き、その高すぎる打率が気になっていた。

 

「写真は顔のわかるもので!」「短すぎるプロフィールではマッチング成立しません!」とか書いてあるので、むずがゆい気持ちをおさえながら、いちおううつりのよさそうな写真をえらび(まえ付き合ってた人が撮った写真)、短すぎないプロフィールを打ち込んだ。

 

結論からいうと、むしゃくしゃしたので3日で退会した。男のひとを顔写真とプロフィールだけでジャッジするのが無理すぎた。ていうかジャッジされるのもごめんだ!とお門違いにムカついてみたりもした。数人と短いやり取りをしただけで、誰とも会わずに終わった。いっこだけおもしろかったのは、いいね!してきた人のなかに知り合いがいて、うけたのでこっちもいいね!してマッチング成立させ、「Mさんですよね?」とメッセージを送ったら(お互いにいいね!を押し合ったもの同士だけがやり取りできる仕組み)、「あ、なんかすいません…」と返ってきたので、うけたのはこちらだけだったようでした。そんなに相手を見ずにいいね!するものなの?と思ったんだけど、ほぼ無差別にいいね!を送る男のひとがいるんだとのちに知り合いから聞いた。

 

で、いまはマッチングアプリはやってないかわりに(?)転職サイトをながめる日々なわけなんだけど、条件をあげたりさげたりえらび直してみたり、ぜんぜんなじみのない職種や業種からのスカウトメールを確認したりするたび、ペアーズで感じた無がよみがえる。

 

どちらも、可能性“だけ”はやたらにあるように錯覚させてくれるのが似ている。(まあ、転職の方は年齢とかそろそろ引っかかってくるころなので、その辺の悲哀は置いておいて、ってそれはあれかマッチングアプリでも同じか、いや同じどころかもっとシビアだったりすんのかね。むずいな)

 

ほんと、ペアーズについては、いくらでも人間が沸いて出てくるように感じられてこわかった。そのなかには、話の合う男のひとがいたのかもしれないけど、そういうひとを探しあてるほどの根性も気力もなかった。というより、たくさん人がいるのに無だなと思ったし、なんで無なのか途中で気付いた。無なんです。無。

 

どういう文脈だったのか覚えてないけど、高校のとき好きだった社会科の先生が、「なにかをえらぶということは、ほかの可能性を捨てるということです」と言っていて、そのときはピンとこなかった。こなかったけど、やけに引っかかった。いまならどういうことかわかる。考えてみるといま、あのときの先生の年齢くらいになっている。そしてわたしはえらぶのが苦手なままだ。

 

えらぶのが苦手だし、ほしいものこそをほしいといえない。どうしてなのか、めちゃくちゃにこわい。ほしいもののジェネリック的なもので満足させようとしてしまう。そういうくせがついているけど、もうそろそろそれじゃだめな気もしている。それでぜんぶだめにしてきたから。乗りこえないといけないものがだんだんわかってきていて、わたしはまわりにいる勇敢な人たちのことを考えている。