自重に耐えろ
途中でたまらなくなってしまい、まだとなりに相手がいるのに、いちばん連絡したくないはずの人間に甘えたメッセージを送ってしまった。そいつ(呼ばわり)はどういうわけか、他人のピンチには敏いところがあるので、わりとすぐに返信をくれた。そいつ自身がわたしをピンチにおとしいれた(まあ、そいつの浮気的なことです)ときでさえ、わたしのことを心配していて不思議だった。(不思議だったというか、その瞬間は逆上してめちゃくそにキレたけど。「おまえのせいだし!!」)でもどうやらそれはまっすぐな心配だったようで、わたしはそいつがますます謎だ。謎ではあるが、そいつと接していると、大自然に触れているような感覚になってきて、自然というのはただあるだけなんだけど、こちらの解釈や都合次第でやさしいものにも無情なものにもなる。
なんだかよくわからない始まりになってしまったけど、デート的なことの最中にたまらなくなってしまい別の人にメッセージを送った云々はほんの数時間前の話で、わたしは相変わらず自分自身の人生からの逃亡を試みているのですが、まあそれは逃げでしかないためいつもいい感じに失敗するのでして、どうやらわたしをわたしの人生から連れ去ってくれる人というのはいないようです。あきらめろ。
思えばわたしの母も弱い人間で、たとえば、気付くと家のなかの洗剤や無水鍋のロゴがすべてネットワークビジネスのものになっていたり、「歳とったら宗教とか入らないとやっていけないかも」と友人に話したりしていた。わたしはいまのところネットワークビジネスに手を出していないし、宗教ともまあ無縁だけど、もしかしたらその心の置き所を恋愛に求めているのかもな、ということを最近、というか今日、というかほんの数時間前のことだけど、けっこう確信的な気付きを得たのでした。
がしかし、それはだめだ。だめじゃないかもしれないけど、どうやらわたしはいまそのフェーズじゃないっぽい。自分自身の重みを他人に預けてはいけないっぽい。軽やかに生きたいと、涼しいような顔をしつつ、内心助けてほしくて仕方ない。だけど、いったん自分で自分の重さを受け止める覚悟なしに、ここから先に行けないっぽい。
大自然のようなやつは、最近のわたしを「元々あったはずの素直ぶりが、さらにすごく素直になってる」と評した。最近会ってないのになんでわかるのかとも思うけど、大自然の言うことだからある程度そうなのかもしれない。素直さを取りもどした反動として、「それなり」にがまんならなくなってしまったのかもしれない。
以上、それなりにデートして、それなりにセックスして、それなりに満足して眠る(と言いつつ他人の横で熟睡できないほう)はずの一日を自分の手でぶちこわさざるを得なかった日の日記。
といまの気分に合致した歌。