やさしくしてやさしくされたい

大学4年、就活も終わって暇だったころの話。友人から「ながく付き合っていた彼氏と別れてつらい」とメールが届いたので、「なにかできることがあったら言ってね!」とテンプレ返信を送ったところ、合コンに付き添うことになった。まったく気乗りしなかったけど、それが「なにかできる」ことならば仕方ないと覚悟し、初のそれに参加した。案の定合コン特有の茶番が無理すぎて安酒に逃げ、気付いたらひとりで品川駅のトイレにいた。その状況があまりにひどく、逆に楽しくなっちゃってmixiに書いてみたらまあまあ受けたのでいいか~と思っていたけど、当の友人は同じ日のことを、「もうほんとうに、あれは最悪で最悪で忘れたい」とか書いてた。それからなんとなく疎遠になった彼女は、その次に付き合った人と割と早めに結婚した。

 

それ以降もきっと、誰かに「なにかできることがあったら言ってね」だとかを無邪気に言ってきた気がするけど、最近はあまり言わなくなった。なにかできることがあったら言ってほしい相手はもちろんいて、だけどだいたいの場合なにもできない。誰かを救いたい気持ちは、わたしの場合エゴでしかない。

 

 こないだこんな記事を読んだ。

torus.abejainc.com

 

お手伝いをすると“ただめし”が食べられることで有名な未来食堂の店主が、一見困っていないようなふりをしながら“ただめし”制度を使いつづける客に対してヤキモキしてしまったと語っている。「困っている人」のステレオタイプに当てはまる人とそうじゃない人を勝手に線引きしてしまうことに葛藤した店主は、あえて自らを「サイコパス」化し、“ただめし”利用客から自分の気持ちを離すことにしたという。人から感謝されたり称賛されたりするためだとしたら、これは出来ない。

 

小沢健二の『愛し愛されて生きるのさ』について。

 というRTの後に、

 

 

 

 誰かを助けたり愛したりするのがきれいに対称になっていないとしても、誰かを助けたり愛そうという気持ちや意思が網目のように張り巡らされている世界だといい。家族や友人、恋人だけがその人を助けられるってことでもない。

 

『怒らないこと』という本を出した出版社の代表が、タクシー運転手に対する暴行と強盗による逮捕歴があるらしいと知ってちょっと笑った。でも、その本を読んで誰かが救われたとしたら、それはそれで揺るぎのないことだ。

 

和解した母と5年ぶりくらいに会ったとき、なんで父を選んだのか聞いてみたら「さみしそうだったから」と答えた。それで「父親になったらさみしくなくなるかな」と思い、23歳でわたしを産んだ。それから20数年経ったころふたりは別れているので、もしかしたら最初よりさみしくなったのかもしれないけど、父の気持ちを聞いたことはない。むしろ母は結婚生活のあいだ、かなりさみしい思いをしてきたように見える。だから「さみしさ」に惹かれてはいけないと思うけど、どうやら血らしい。

 

そんなわけで、離婚ってものがずっと気になっている。『ぼくたちの離婚』って本がおもしろかったんだけど、その感想を書いたブログを見つけた。

 

ch.nicovideo.jp

 

この感想のなかに、メンヘラっぽくなる人はだいたい親からモラハラを受けている(大意)と書かれている。戦後に子どもをホワイトカラーに適した人材にするための教育がされ始め、結果モラハラ親が増え、子どもはメンヘラ化した、と。(ちょっと大雑把すぎる説明だけど…)わたしの実家はホワイトカラーではないし、勉強しろとかあまり言われもしなかったけど(というかそもそもわたしに興味がなかったことの方が問題)、世代的にそういう価値観が正しいものだとされていたっていうのはありそう。このブログは、「21世紀は、そうやって時間かけて、この狂った状況を癒やしていく世紀になるだろう」と締められている。やさしくしてやさしくされたい。

 

わたし自身も、まわりを見渡しても、自分の努力だけじゃどうにもならないなにかに覆われている気がして、正しいとされていることをがんばったところで必ずしも報われないというか、世間の尺度にのっとることとその人自身が幸せを感じることが一致しないことばっかりだ。そもそも「自分の幸せ」なんてものを掘り下げるなって空気だし。そういうもろもろのうっすらとした不幸せ感ってもしかして、日本が戦争に負けたからだったり~…?とか考えていたら本屋さんで『永続敗戦論』って本を見つけたので買ってみたけどまだ読んでない。

 

あと、安冨歩さんがある映画のアフタートークで「現代社会は小さな子どもを傷つけ、その抑圧によるエネルギーを動力にしている」というようなことを言っていたのが引っかかっている。詳しく書かれた本をご存知の方がいたら教えてください。

 

わたしはわたしでこんな風に、自分がどんな社会にいるのか知って、いじけすぎないようにやっていきたい。そっと手を伸ばせば手をつなげる距離や関係にいようといなかろうと、「君の生きてることに興味があるの」(こっちは前野健太の歌)って思ってる。