2020年9月7日(月)

朝からコワーキングスペース店番。店番後もそのまま夜まで作業。

 

メルマガお疲れ様でしたメールがいくつか。最後だからはじめてメールしますという方も。うれしい。

 

メルマガであれ日記であれ、書く動機は「わいの文章、どや!」とか「わいの体験、どや!」ではない。書くことがコミュニケーションの契機になればいいと思っている。

 

だから、メルマガを始めるにあたっても、自分がインフルエンサー的立場になりたかったわけではない。人に会えない無風期間だからこそ、むしろ人からインフルエンスを与えられたかった。

 

「自分はこう思った」と書いて、安易な共感や称賛がほしいわけではないし、まして私を分析してほしいわけでもない。ほかの人の「自分はこう思った」を知りたくて、その呼び水になればと思って書いている面が大きい。

 

書き手と読み手の役割が固定されているより、みんな書き手であり読み手である方が楽しい。つまりmixiが理想。

 

その辺りはどのくらい伝えられただろう。しかし、その理想を叶えるむずかしさもなんとなくわかる。

 

わたしは毎度、メルマガに、感想や近況を送ってくださいね~と書いていたけれど、実際のところ、自分が逆の立場の時にあまり反応しないタイプなのだ。

 

ライブとかでも、一緒に歌おうと促されるあの時間は居心地が悪い。早く終わってくれ…と黙って念じている。観客としての安全圏が揺るがされるようで、不安になるのだ。

 

だからレスしない気持ちは実はよくわかる。わたしもこんなん言ってけっこう神経質だから、その辺りをかぎつけられているのかもしれない。もしそうだとしたら、これから歳を取って、もっともっとおおらかになって、人がレスしやすい人間になるとよいなあ。

 

っていうのとちょっと話がずれるけど、少し前にたしかブロスの連載のなかで、漫画家の久保ミツロウさんが、レスのないに時間耐える、みたいな話をしていたのを思い出した。

 

いまは何かを書けばすぐに反応が得られる時代だけど、私たち漫画家は、誰からも反応のない創作時間というものがあって、だから多少レスがなくても淡々と創作できるよう訓練されているから、みなさん気を遣われなくて大丈夫ですよ~という内容だった(と記憶してる)。

 

かっこいいなぁと思うと同時に、その感覚は自分にとってもけっこう大事な気がした。完全にひとりでいる時間のなかでこそ育まれるものがある。他人からの即レス文化に慣れすぎていると、あっという間に消耗する。自分が本来感じていることをないがしろにしてしまう。

 

先月くらいに、自分のあらゆる発想が近視眼的になっていたことに気が付き、いやいや言うてももしかしたらまだ40年とか生きるわけだし…と考え方のスパンを変えてみたら、物事の判断軸が少しずつ変化した。林業みたいな感覚。っていうのは、この記事の後半に出てくる話にもインスパイアされてる。

 

まー、またレスがほしくなったり、近視眼になったり、やっぱりクローズドで書きたくなったり、たびたびいろんな変化が訪れるだろう。そのたびにしっくりくるやり方を考えたり、反省したりするしかない。で、時がきたら死ぬ。(←最後の一文は前田司郎のツイートのパクリ)

 

【食べたもの】

8時半 ハチミツトースト

11時 もちもちしたちっこいチョコパン

15時 冷やし中華

19時半 梅入ってるいなり寿司的なやつ、ファミチキBBQ味、野菜ジュース