2020年12月16日(水)/間に合わない夢を見るくらいがちょうどいい

今晩はとてもうれしく、とても緊張する仕事を控えている。だいたいのうれしいことは、誰にも言わないようにしている。だけど今回は言わないと我ながら流石に水くさいなと思って、然るべき友だち2人に事前に伝えてみた。そしたら、爽やかな返信が返ってきて、なんというかうれしかった。

 

この、うれしいことを周りに言わず黙っておく癖はどうやってついたかというと、うれしさを表現するたび親に潰されてきた、という苦味がこびりついているせいである。というのが、去年からいわゆる毒親本を読んできて導き出された答えのひとつです。しかしこの考え方自体が、これらの本に引っ張られすぎてるかも、とも思うんだけども。

 

とはいいつつ、リアルに生きている母と父にはもうそんなに恨みはなく、あの人たちにも、子独自の感情の発達を素直に喜べない、それなりの事情があったんでしょう。だけど、この癖に気がついたからには、今度は自分が自分のコントロール役となり、染みついた嫌な記憶を払拭していく努力をしていくことができる。

 

だからこれからは、自分の身に起こるうれしいことも信頼する人たちには伝えていきたい。

 

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きょう見聞きしたことは、すぐに書いて、あした午後いちに納品しなければならず、22時ごろ作業場に。こういうスケジュールがタイトな仕事は緊張感がすごいけれど、けっこう好きでもあります。

 

スケジュールがはっきりしていない仕事は、企画書を書く段階から何から何まで異常に遅いので、自分にはこれくらい厳しめの外的要因が必要なのかもしれない。なのでどんどんやりたい、速書きの仕事。