2021年1月15日(金)/輪郭を濃く、太く

夜に演劇を観る用があったので、今日は池袋。カフェで仕事をする合間、そろそろ長居しすぎかなと気になって店をうつるタイミングで、服や指輪をみてみたけども、結局また何も買えなかった。何が着たいかわからなくなって長い。だけど何かはほしい。少しでも垢抜けたい。その考え自体が芋い。

 

前に、詳しそうな友だちにそんな話をして、服や指輪のことを聞いてみたら案の定詳しくて「わたしは物欲の鬼だからー」と言っていてかっこよかった。ファッションに限らず、自分は物欲がつよい方ではない。ここ一番で踏ん張りが効かないのは、そういう明確な欲、どうしてもほしいものがないからなんじゃないかと思ったりする。わたしの欲望はなんかこう、輪郭がぼやけている。こう書いてみると、自分の欲望の輪郭をクリアにしていくことが大事な気がしてきた。

 

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物欲はない代わりに、演劇は観たい。上に挙げた友だちは、物だけでなく食にも詳しく、その上演劇も観る。ライブやレイブにも行く。生まれ持ったエネルギーの貯蔵量がちがうのかも。

 

観に行けなくなった方から席を譲り受け、芸劇で二兎社ザ・空気ver3を観た。名前は知っていたけど観るのは初めてで、当日パンフレットによると最初の公演が1981年、ってことは活動40年!初期は脚本家の大石静が在籍していたみたい。

 

作品は、あるBS局の報道番組の裏側を描く。政権批判の急先鋒だった新聞記者としての過去を持ちながらも、今ではすっかりその筋に飼い慣らされてしまった御用ジャーナリストを中心に、マスコミの政治への忖度が問われる内容なんだけど、ところどころコミカルで、堅苦しく説教くさい感じはなかった。

 

(以下ネタバレ含む)物語の終盤に、ジャーナリストが考えを改め、政権に不利な情報を暴露しようとする場面がある。自分の立場は当然危うくなるのに、それでもいいと覚悟を決めるんだけど、それまではリベラル側だったディレクターが、最後の最後に保身に走って、その情報を流すことに待ったを出す。その「会社員」的な選択に対する、ジャーナリストの言葉が重たかった。

 

リベラルなディレクターは、政権に従順なジャーナリストの批判をする分には自分の身が守られていて、その覚悟を問われることはない。しかしいざ政府を揺らがせるような情報を、自分でリスクと責任を背負って発信できる報道人なんていない。だけどそれは個々人の気概の問題だけではなく、日本の「編集権」のあり方の問題でもある、という内容だった。

 

普段ここまでしっかり「社会派」の演劇を観ることはないので、ちゃんと説明できているか不安だけど、そんなレベルの観客でも楽しんで観ることができる、良質なエンターテインメント作品だった。あと、一昨年に『サラリーマンの死』を観た時には風間杜夫すげーって思ったけど、今回は佐藤B作うめーって思った。ベテラン俳優を生で観る機会はそうないので、やっぱりうまいんだなって、なんかもはや失礼な感想。迫力のある俳優さんは、出てきただけで場の空気を変える。

 

そういえば去年は、あまり観たことのない、歴史の長い劇団を観てみようと思っていたのに、それどころか観劇の本数自体がぐっと減ってしまった。今年も、今日以降の観劇の予定がまだ立っていない。