2021年1月22日(金)/冷たい海の下の生態系

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向田邦子の展示のため、表参道のSPIRALへ。今年で亡くなって40年経つらしい。

 

展示会場に入ってすぐ、向田さんのポートレートが数枚掲示されていて、どれもみたことがある写真なのに、やっぱり目を奪われる。書かれたものと同じくらい、本人の姿が魅力的だ。

 

その次に年表があって、上に向田さんの歩みと、下に文化的な出来事が並べられて、いろんな発見があった。なかでも「へぇ」と思ったのは、下の年表で、終戦の年のうちに、文藝春秋などの雑誌が復刊されていたこと。今調べてみたら文春はその年の3月に休刊したそう。そんなに長いお休みでないとはいえ、戦争が終わった直後に、文化的な事業がすぐに息を吹き返していることに驚いたけど、実際の東京がどんな感じだったのかあまりわかっていない。「焼け野原」みたいな漠然とした印象しか持ってなくて、実際のところの暮らしぶりは人によってちがったんだろうか。

 

直木賞を獲ったあとに徹子の部屋へ出演した時の映像も流れていた。向田さんの受賞を受け、小説を書いてみたいという主婦の声が急増したという。そういう人たちにアドバイスを、と向けられ、書くこと自体は氷山の一角のようなもので、その下には思ったことや感じたことが膨大にある。だからいろんな経験から思ったり感じたりしていれば、何かをきっかけに書き始めることができる、と答えていた。

 

直木賞ということでいえば、受賞翌日のエピソードを綴った手書きの原稿もあった。いろんな人からお祝いの電話がくるなか、知らない男性に「今すぐ賞を辞退しろ」とまくしたてられたそう。聞けばその人も十数年創作をしているものの芽が出ず、「自分のように真剣に取り組んでいるものが評価されないで、あなたのような人が受賞するのはおかしい」みたいな言い分だったと。いつの時代にもクソリプマンはいるらしい。

 

あと、手書きの原稿はどれもつらつらつらーっと綴られていて、正直読み取れない箇所も多かった。当時の編集者の人はこれを間違えずに読めたのだろうか。向田さんに限らず、その時代の作家の原稿は当然手書きなわけだけど、読めない文字があったときは電話確認とかしてたんだろうか。相手が大御所だったら、その確認作業に胃が痛くなりそう。ま、作業工程がちがうだけで、大御所とのやりとりはいつの時代も大変かもしれないけど。

 

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そのあとに会った友だちが、去年向田邦子を読み始めたと書いてるのを見かけていたので、観てきた展示の話をした。自分が思ったことを即誰かに伝えられるのはいい。タイムラグなく人に何かを話せることは、精神を清潔に保つコツかもしれない。逆にいうと自粛期間が辛いのはそのせいか。

 

友だちは、読んだ本や観たものの感想をしゃべるのが上手で、直近で読んだわけでもないという向田邦子の小説のあらすじをちゃんと覚えていて、その記憶力がうらやましい。そんな友だちのおすすめは『鮒』。

 

好きな作品について話すのも上手いけど、実はこの人が本領を発揮するのは嫌いな作品について話すときのほうで、よくもまあそんな明晰に嫌いなものの、嫌いな理由を説明できるなっていうのと、そのときに発するエネルギーがやたらに強くて笑ってしまう。嫌いなことを話していても、聞いていて嫌な感じがしないのが不思議。流行りに惑わされず、自分のフィルターで物事を見てるのがわかるのでおもしろい。匿名でラジオかなんかやってほしい。

 

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今日は書くべきことの多い日で、『俺の家の話』の第1話を2回続けて観た。そのくらい感激したんだけど、長くなるので明日の日記に回そうと思う。