2021年1月23日(土)/俺の家の話

昨晩始まった『俺の家の話』、リアルタイムで観て、2時間後にTVerで観て、今日再放送してるのも観た。シンプルななかにただならぬ気配を感じるタイトルと、長瀬の表舞台最後になるかもしれない連ドラという触れ込みに、かなり期待して楽しみに待っていたけど、その予想を上回った!

 

tver.jp

 

良い場面、良い演技がありすぎて、こういうのはできれば誰かと直接しゃべりたい。素晴らしさに溢れていて、どこから書けばいいのかわからない。おもしろいと感じれば感じるほど、そのおもしろさを余すことなく伝えたいのに、そうするにはどうすればいいか悩んでしまい、書くことはどんどん億劫になってしまう。でも書く。

 

1話の最初から最後まで良いシーンで満ちてたなかでも(あ、しいて言えば私は秋山のシーンはそんなにだった)、長瀬演じる寿一が、西田敏行演じる父親を自宅介護することになり、初めてお風呂に入れるシーン以降の、最後の15分は特に目を見張るものがあった。

 

実の親を介護すると想像したときの、なんとも言えない嫌悪感。関係が近いからこそ触れることに憚られるような、居心地の悪さ。そういったものを超えられるかどうか、いまの時点ではまったく自信がない。そして何より、本当はそんなことを考えたくない。親、とりわけ父親にはずっと「絶対」であってほしいとどこかで思っているのだろう。寿一が25年ぶりにまともに相対する父親が「老いた」という現実を受け止めるまでの混乱は、親の介護にまつわる、まだぼんやりした想像を現実のものとして見せてくれるかのようだった。

 

寿一の父が能の宗家であり、人間国宝として能の世界の伝統を守ってきた存在であるだけに、「絶対」だった父親の老いを受け止めるむずかしさは、一般家庭のそれ以上に強調される。また、長男として生まれた寿一が、長男というだけの理由で家業を継ぐことに納得ができず、仕事にしか関心のなかった父親と、唯一心理的なつながりを感じていたプロレスの世界に入るというのも、子どもが親の関心を買いたい気持ちの現れのようで心底切ない。

 

長男である寿一は、長男としてではなく、自分そのものを父親に見てほしかったが故、家業を継がなかったのだと考えられるので、それは全然「自由」ということにはならないと思うのだけど、妹と弟からは「フーテンの寅さん」だとか、「あんたが自由だから俺らは堅実にやるしかなかった」(弟は弁護士で、妹は塾講師)だとか散々な言われようをしていて、これもまた切ない。 

 

寿一が反抗期の頃、なんで俺が家を継がないといけないのかと父親に歯向かう。「そういうもんだからだ」としか答えない父親に業を煮やして、寿一は家を出ていく。第一話の最後、介護と家業を継ぐことへの覚悟を決めた寿一が、父の体を洗いながら、赤ちゃんのころにおむつひとつ替えてくれなかったという話を蒸し返す。父は、神聖な能の舞台に、おむつを替えた手で立てるはずがないと反論するが、「俺はあんたがしてくれなかったこと、全部やるよ。それは、そういうもんだからだ」と返す寿一。痺れる。

 

そういった、親への一筋縄ではいかない想いに加え、遺産相続、介護士後妻業の女疑惑、子どもの学習障害など、大きいさまざまな問題が絡んでくるのだけど、重さと軽さの絶妙なバランスで進むので、ある意味とても安心して身を委ねることができる。毎週一生懸命観るのみ。

 

第1話は、プロレスラーの長瀬がメインで、2話は能楽師の長瀬も出てくる。こんなに魅力的な長瀬をもう見られないのかもしれないと思うと惜しくてたまらない。せめてリアルタイムでその花道を見届ける。