2021年2月4日(木)/なぜ君は総理大臣になれないのか

昨日映画を観られなかったのが悔しい。Yahoo映画で調べてみたら、ポレポレ東中野で『なぜ君は総理大臣になれないのか』が再上映されている。昨日は『花束みたいな恋をした』を観る気だったのに、森失言のあれこれを読んでいたら、政治映画の気分になってきた。

 

ところで最近小規模な映画館に行くと、アップリンクやユジクの件を思い出し、「ここは大丈夫なのかな」とよぎってしまう。ロマンさんの書いたこのコラム、数回読んだ。 

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で、映画。総務省の官僚から政治家をこころざし、32歳で初出馬した小川淳也議員の17年間を追ったドキュメンタリー。2003年当初、監督はなにに発表するつもりもなく、興味が湧いたというだけで小川さんを追い始めたらしい。本当になににも発表するつもりもないのに撮り始めていたとすると、まずそのこと自体がすごい。利益を度外視して、自分の欲求のままに撮るという行為に、一種の憧憬のような気持ちが湧く。

 

そして、2003年から2020年に至る17年間のあいだ、小川さんの政治に対する姿勢が大きく変わらないことには驚かされた。初出馬の際、支援者の前で語りながら涙を流す姿を見ながら、なんというか、良くも悪くも純粋な方なんだなと感じたが、それ以降も数年おきに同じようなシーンがあった。魑魅魍魎の政治界で生きて、「そのまま」でいられることの貴重さ。素人から見たらそれはとても好感の持てるものなのだけど、一般界とは明らかに異なる政治の世界においては、それは必ずしもいいことではないのではないだろうか。事実、小川議員は重要な役職を掴めていない。

 

小川議員のご両親は、まちの美容院を営んでいて、言ってみたら「普通」の家庭の人たちだ。一方、対抗馬である自民党の平井議員の一族は、地元新聞社の経営者と対照的。小川議員の母は、「社会が彼を必要としていないなら、早くこちらの元に返して欲しい」といい、父も「若い人が政治家を志すのはうれしいことだけど、それが自分の息子となると複雑」と笑う。映画には、小川議員の奥さんや2人の娘さんも登場する。小川議員本人や周辺の人々は、基本的に感じがよく、チャーミングな印象を受ける。テレビで政治家が話すのを見るときに感じる「嫌悪感」が湧かない。そして、そのこともまた、政治家としての物足りなさと裏表なのかもしれない。

 

民主党員としてキャリアをスタートさせたが、2017年に悩みに悩んだ末、小池百合子が立ち上げた希望の党に所属することになり、葛藤はより深くなる。地元の商店街で選挙活動をしていると、老年の男性に裏切り者扱いされるシーンはかなりいたたまれなかった。そもそも、スピーカーで大声を振りまく選挙活動のやり方自体にも疑問を抱いていて、そういう「一般的」な感覚を持っていることも信頼できる。だけど悲しいことに、その逡巡や慎ましさが不要とされる世界なのだ、きっと。

 

年を追うにつれ、監督や小川議員のご両親など周りの人たちは、彼が「議員に向いていないのではないか?」と口に出し始める。それは本人も気づいていることだ。作中で、「僕は政治家になりたいと思ったことは一度もない。でもやらないといけない」と語るように、自分のなかの使命感だけを頼りに、政治家として活動しているようだ。

 

映画の終盤に、地元香川の慎ましやかなアパートで、監督が水を向ける。小川さんは政治家に向いていないんじゃないかと思う、と。「自分には権力や名誉への突き上げるような欲求がない。それが、政治家に向いていないところだと思う」と同意していた。政治家に向いている人には絶対近づきたくないし(縁もないけど)、2時間も大きなスクリーンで姿を観るのも耐えられないと思う。政治に限らず、上昇志向の強い人は平気で人を傷つける傾向にあるので、近寄りたくない。

 

個人的には、小川議員のように誠実な人が政界にいると知れてうれしい。しかし、小川議員本人やその家族の負担を思うと、なんというか、お門違いだろうけど、勝手に心配してしまう。不思議なことに、小川さんが全然老けないので、体が丈夫な方なのかも。奥さんは相応に歳を重ね、娘さんもどんどん成長するのに比べ、小川さんひとりが32歳当時と変わらぬ見た目、体型だったことは、妙な印象を残した。