2021年2月15日(月)/遅れてきたレイジアゲインストザ花束

日に日に『花束みたいな恋をした』へのムカつきが増していて、その理由はといえば、あの映画には社会通念で人をぶん殴るような価値観が横たわっているから。みた直後に激怒していた友だちを見習いたい。ネガティブな気分になった時に、まず自分の非を疑う癖がついている。それでどうなるかといえば、反射的に怒れなくなる。そうすると、肝心な時に身を守れないからよくない!

 

映画のせいで日記を書く気持ちが萎んでしまったのも、いま考えたらほんとくだらない。私が何をしても何をしなくても、文句や嫌味を言ったりする人はいない。だから自分にとってはあの映画こそが、イマジナリー「お節介な親戚」という感じ。たぶん自分の軸みたいなものがしっかりと根付いていたら、「お節介な親戚」がいくら何を言ってもスルーできるだろうが、沼地に刺さった棒っきれのように頼りない私の軸は、まんまと揺らいでしまったのだった。

 

この件はもうこれで最後にしたい。もうあの映画の話もあんまりしたくない。

 

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お酒なしでも人と仲良くなれるようになりたいとずっと思っていて、気づいたらいまそうなっていた。お酒を飲むこともあるけど、なくても平気。Twitterで自分の発言を検索してみたら、2015年からそんなことを書いていたので、6年経って達成できていた。

 

2015年は、仕事のプレッシャーが急激に高まってストレスのあまりテンションがずっと高く、歩く速度も異様に早かった。常に不安にさらされていたけれど、その分給料もよかった。お酒を飲まずして人と付き合えるようになったいま、週休3日くらいのまったりとした働き方をしていて、年収も随分と低い。どちらがいいと一概に言えるもんでもないけれど、とりあえず6年前の願いが叶っていることは事実。

 

なんだって外に出しておいた方が実現する可能性が高まる気がする。なので次のステップとして叶えたいのは、素面で人に自分の弱みをさらすこと。誰の前ででもというわけにはいかないけど、お酒を必須にせずに付き合える人たちには、もうちょっとずつ甘えていきたいものです。なぜ甘えられないかというと、もし受け入れられなかったり無視されたりした場合、自分を保てないからなんだけど、こう書いてみると、別に自分を保つ必要もないような気もしてきた。こうやって恐れていることを因数分解していくとよさそう。

 

そういえば、『セックス依存症になりました。』って漫画に、お酒を飲まないとセックスできないのは依存症の症状と書かれていて驚いた。セックスとかってこれもまた弱さをさらけ出すような行為ですよね。そういえば前に友だちに「酔ってるときの方がモテる気がする」と話したら「それは誰でもそう」と返されてがっかりした。素面でも弱さをダダ洩らして、もう仕方ないなぁと人に可愛がられたり、なんならバカにされても平気な感じで生きていられたら、それはもういっこの理想かもな。