2021年3月16日(火)/月火水のルーチン

週3通っている会社のフリースペースには、ゆりかごのようなものがあり、お昼はだいたいそこにいる。いまも揺られながら書いている。

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↑これじゃないけどこんな感じ。今日入ったゆりかごはクッションの配置がよいので、ふかふかに包まれて気持ちいい。

 

そういえば、通勤で、新宿から相鉄線に乗り入れる電車に乗ってるんだけど、山手線でも行ける場所なのにわざわざ相鉄線に乗るのは、その電車が始発で必ず座れるからだった。のに、昨日から様子がおかしい。ダイヤが乱れたのかと思ったけど、2日連続は変だと思って調べたら、先週土曜にダイヤの改正があったみたい。誰も悪くないけど、朝からイラついた。朝の電車で目を閉じる10分間が好きだったのに。

 

会社に着いて、仕事を始める前に朝日新聞デジタルで気になる記事を読む。今日気になったのは、

digital.asahi.com

digital.asahi.com

上の記事は、政治家の会食をめぐる問題に関連したもの。脱サラして漁師をやるため地元青森に戻った男性が、村社会ならではの慣習に苦しみ、新しいビジネスを始めるのに苦労したが、いまはそこを脱してのびのびやってると言う話。映画『あのこは貴族』のなかで、地方の富山であれ、東京の真ん中であれ、家至上主義の価値観がある限り、そこにある文化は大きく変わらない、みたいな台詞があって、そのことを思い出した。

 

下の記事は、「御用ジャーナリスト」を朝日新聞の記者がインタビューした記事。最初わたしはこの人のことを何にも知らなかったけど、朝のワイドショーに出てくると、声もしゃべり方も顔もぜんぶうそ、なんか気持ち悪いと思ってチャンネルを変えるようになった。この、感覚的なものってなんなんだろう。わたしの実家は別にリベラルではなかったし、父が仕事の付き合いでたまに聖教新聞をとってたりしてて(実家はたしか浄土宗)、なんというか適当だった。だとすると、この「気持ち悪い」という感覚は、割と最近になってできたセンサーによるものなんだろうか。

 

ともかく、普段なら「こんなやつ」の話を読もうとは思わないんだけど、異なる立場の人が話しているものを読むのはおもしろい。記事もおもしろかった。詳しく書くのはめんどいけど、あとで足すかも。

 

同じ感じで、石戸諭さんの書いた百田尚樹本も気になってるのだけど、まだ買えてもない。やっぱり根本的に「きもい」と思ってしまっているので、読むのには多少体力がいる。他人に対する快/不快って、ほんとのところなにに由来するんだろうなぁ。