2021年5月29日(土)/成熟度を測る指標

最初に書きかけた日記は、このところいちばんストレスに感じている人のことを連ねてしまい、なんかちがうと思って、だけど消したくもないので下書きに入れた。嫌な人のことを書くと、鼓動が早まる。良くも悪くも自分を刺激する相手なのだ。だからこそ気をつけたい。こういう時は、相手のことではなく、自分の認知の話をした方がいい。どんな人が現れようとも、自分がどう認知するかでしかないのだから。

 

30代前半くらいまで、他人の咳が気になって仕方なかった。なぜかというと、自分がその人の咳の原因だと思っていたからだった。今にして思うと、その認知の仕方は我ながら気の毒である。でも、本気でそう思っていたので仕方ない。

 

そういう歪んだ認知に気がつき、自他の境界というのものを自分の世界に取り入れられるようになって、少しずつ他人の咳を自分のせいだと思う考え方を一つの癖として、自分から切り離せるようになってきた。考え方の癖を自覚できるようになり、適切な距離を保てる人、つまりは自分を不用意に傷つけることのない人との交流を大切にするよう変化していった。

 

それでも、「あなたのせいだ」という態度を(おそらく)無意識に出してくる相手に出くわすと途端に、もう使わないつもりだった思考回路の溝をなぞってしまう。そういう弱さに気がついた。それはもう、自分の根幹に関わる問題でもあり、そういう部分を刺激する相手とは距離を置くしかない。心身を侵食する相手と必ずしも向き合う必要はない。

 

要するに、人としての成熟の話だ。自他の線を引けない自分自身がまず未熟だったし、一定の線を引かない幼稚さは、自分も相手も傷つけうる。成熟というのは、年齢や性別、未婚既婚、子どもの有無にはかかわらない問題である。

 

結局は自分のスタンスの問題でしかなく、嫌な気持ちを沸き起こさせる相手とのエンカウントは、気づきを与える何かの使者として捉えたい。自分の癖に気がつかせてくれてありがとうございます。そしてさようなら。