2021年4月18日(日)/歯の健康優良児・その後

気づけば、歯に意識が行く。数週間気になってる口のなかのしょっぱさ、もしかして親知らずが関係しているか? と思い立ち、歯医者の予約を入れた。3年くらい前に、親知らずが右だか左だか忘れたが、とにかく真横に生えていることを知ったけど、すぐに抜く必要はないとのことだった。「ご自身でよく考えて、よい時期に抜いてください」と言われたが、それってどういうことだ?と釈然としないまま帰った。

 

あと、口のなかのしょっぱさや気持ち悪さは、胃腸の問題ではなく、8割方口のなかに問題があると検索の果てに見つけたことも歯医者に行きたくなった理由の一つ。

 

3年前と同じ歯医者で、呼ばれて個室に入ったら、デデンと以前のレントゲンが映し出されて、その日付は6年前だった。思ってたより3年も前だった。私の記憶は、2015年以降がかなりグチャッとしている。5年前に買った服を、まだ比較的新しいものとして認識していたりして、時間の感覚がおかしい。20代の頃はそんなことなかったと思うんだけど。30代ってそういうものなんだろうか。人によるか。

 

さておき、再度レントゲンを取ることに。親知らずは確かに伸びてきているけど、まあ、抜きたいなら抜いてもいいと思いますよ、いずれ隙間に汚れが溜まりやすくなりますから、と、なんかこう即断しにくい空気を出してくる。別に歯周病も虫歯もないし、口のなかしょっぱいって、うーん、なんでしょうね、あんまり聞かないですね、とほしい答えをくれないし。一瞬でもいい、うそでもいいからスカッとジャパンしたい。「これが理由だったのか〜!」と。

 

親知らずを抜くかどうか。6年前に診てもらった時に、生え方が真横に行っちゃってるので、簡単には抜けず外科手術が必要、と言われたのをうっすら覚えていて、昨晩検索してみたら、親知らずを4本まとめて抜いた人の体験記が見つかった。その人の手術後はなかなかに壮絶で、読んでビビリ散らかした。数日入院コースで、全身麻酔を打って手術に臨み、術後は高熱を出して意識が飛び、気づいたら尿道カテーテルを入れられていたとかなんとか。

 

それで、私の親知らずも外科手術という話だったので、「あの、抜くとしたら入院とかって……」とおずおず聞いてみたら、いやいや、外科医がうちに来るタイミングで抜歯するだけで、入院はないですよ、だいたい1時間で終わりますと軽く笑われる始末。いや、よかったけども。

 

尿道カテーテル入れられる心配もなくなり、どうせ腫れるんならこのマスク期間中に済ませたい。口のしょっぱさ問題の解決には関係なさそうだけど、もう抜いてしまおう!そういうわけで患者側が積極性を持って、抜歯のスケジュール立てをお願いする形に。

 

こうして来月には親知らずを抜く。抜くと顔が小さくなると読んだけど、本当だろうか。恥ずかしくてそれは聞けなかった。小顔効果の信憑性はあやしいが、顔が腫れることと、抜歯後しばらくは、歯があったところに食べかすがたまり、口臭の原因になりやすいことは、かなりの人が報告している。親知らずを生やしたままでも食べかすがたまりやすく口臭の原因となり、親知らずを抜いてもしばらくは食べかすがたまりやすく口臭の原因となる。行くも地獄、退くも地獄。めっちゃ嫌だ。早く穴を塞ぐ工夫をしたい。誰か知ってたら教えてください。

2021年4月17日(土)/甘えに飽きた

映画を観終わって、iPhoneの電源を入れ、ほとんど手癖のようにTwitterを開こうとしたら、ログインできない。未練がましく何度か試したがダメだった。「今日はたくさん遊んで楽しかった〜」と書き込みたかったのに。しかし、書き込めず冷静に考えると、何のためにそんなことをつぶやきたいんだっけ?Twitterってなんなんだ?

 

というわけで、ブログ。今日は、三鷹で演劇を観て、一緒に行った友だちとサイゼリヤで楽しくおしゃべりして、そこからはひとりで阿佐ヶ谷の小さな展示に立ち寄り、新宿で映画を観た。仕事は相変わらず詰まっていて、少しでも時間があるのならなんらか進めておいた方があとあと楽だ。でも、なんかもう嫌。今日明日出さないといけないものもない。だから、今日は丸一日遊ぶことにした。覚悟を決めて楽しいことばかりしてみたら、だいぶ気が晴れた。帰り道、ここ数日ストレスに感じていたことへの自分なりの指針も浮かんだ。

 

フリーの仕事は、「選ばれる」ことにばかり気を払いがちだけど、こちらにも「選ぶ」権利がある。それを忘れていた。一日遊んで、楽しさをいっぱい摂取して、思い出した。

 

どういうことにストレスを感じていたか。自分の考えだけに焦点を当ててそのうち書きたいのだけど、論点がたくさんある。仕事へのスタンス、センシティブな話題を扱う際の手つき、そもそも何を「センシティブ」だと捉えるかの感覚、メディアのあり方などなど。

 

ところで、私は最近まで、「ライター・編集者」と名乗ることにおこがましさを感じていた。これまで自分が接してきた本、雑誌、ウェブ記事。それらを作ってきた編集者やライターの仕事を考えた時に、自分なんぞが同じ職業を名乗るなんて「おこがましい」と。名前を表に出す仕事よりも、匿名で書く仕事の方が多いことにも、「ライター・編集者」を名乗ることへの気後れがあったが、本来それは大きな問題ではない。何かを作って公開してるのにちがいはないのだから。

 

記事の制作を始めて、なんだかんだ丸4年が経った。年数はまだまだ短い。しかし、いい加減「おこがましい」なんて言うこと自体が、キャリアの短さを盾にした「甘え」だと気づいた。どう自認するかにかかわらず、すでに私にはある種の暴力性が備わっている。私が、という特権意識ではない。世の中に何かを伝える仕事をしている人はもちろんのこと、もっと言えば、生きている以上、みんな加害性を備えている。大きな話はここでは置くとして、まずは何かを書いて伝えることに付随する暴力性に限って考えるにしても、それを消すことが正解だとは思っておらず、自分の持つ暴力性をどのように捉え、どう方向づけるかが重要だと思っている。

 

人に迷惑をかけるなら、確信犯でありたい。もしそういう仕事をするのなら、信頼関係があり、共犯関係を結べる相手でないとむずかしい。たぶん、大袈裟な話だと捉えられるだろうけど、そういうことを思った。

 

具体的なことを書かないから、ただの頭でっかち&説教くさい話になっちゃった。あとあと振り返ったとき「言ってんな〜」と恥じる可能性が高い。それもまたいいとしたい。

 

旅行に出ると、普段の生活と距離が生まれ、自分が日々何を感じていたか浮き彫りになったりする。今日丸一日、普段の生活を離れ、とことん遊んでみたことで、旅行の効能のようなものが少しだけ得られた。やっぱり週に一回はまるまる遊ぶ日を持ちたい。

 

2021年4月12日(月)/社会の外へ

なんだかのう〜と思うことありまして、銭湯とサウナでなんだかのう〜を溶かしに行きたくとも、月曜は銭湯が定休日。今思えば、ジョギングでもしてスッキリすればよかったのに、水は低きに流れるもので、買ってきたヒューガールデンを、取っておいた泡が出るビールの缶を使って泡泡にしたものを飲みながらこれを書いている。ちなみに、ずっと試したいと思っていたアルコール度数0.5%の微アルビールも一緒に買った。酔いたいのか酔いたくないのかわからない買い物。

 

ところで、最近口のなかが苦かったりしょっぱかったりする。年に2回はそういう時期がある。なのに毎度対処法を忘れる。そのたびに調べ直して、「亜鉛が効くらしい」と新鮮な気持ちでサプリを買う。今回ちがったのは、なんか流石にDHCやめとくかってことで、ネイチャーメイドのサプリにしてみた。DHCのおじいさん(か知らないけど)、大丈夫なんだろうか。大丈夫じゃないだろうけど。

 

口のなかが苦いせいか、いつもは美味しいヒューガールデンも美味しくない。かくして、溶かすつもりだった、なんだかのう〜は増幅されただけなのであった。と書いてみたけど、ちがうな。正しくは、なんだかのう〜の場所が移動した感じ。

 

ところでところで、最近気づけば「遊びて〜」と心のなかでボヤいてる。この、「遊びて〜」をよく観察し、訳すとするならば、「役に立たない自分でいい時間がほしい」が近い。しごととなると、役に立たない自分が途端に憎らしい。しかし、あまりそんなふうに思っていたくない。限られた人生のなかで、これ以上自己否定の時間を長く持ちたくなどない。だからせめてひとときでも、役に立つ/立たないの次元から離れていたい。社会の外に出る時間がほしい。

 

けっこううろ覚えだけど、誰かと2人だけで手をつなぎ、社会の外に抜け出せる関係が作れるのならば、結婚という制度を利用してみてもいい、ウンヌンカンヌンという話を、二村ヒトシ氏が何かでしていて、それを最近ちょくちょく思い出す。結婚はさておき、誰かと一緒に社会の外に出たい。

 

こういうのは書くと効力が薄れる気がするのだけど、最近の射手座の占いには、恋愛運が良いと書かれれていることが多い。しかし、今の状況下でどうやって人と出会うというのか……。

 

もし次に手を取り合える人が見つかったら、堂々と、は無理だとして、おずおずとでも、のろけるのが大いなる野望です。今のように、ローキーな日々というのは、誰からも妬まれにくいので、ある種書きやすい。もし、わかりやすい「幸せ」が訪れたとき、妬まれてもいいから、自分の日々を残したいと思えたら勝ち。ネクストステップに上がった証拠。よくわからないけど、最近はそう思っている。

2021年4月11日(日)/波風立たせて

常に3個以上「早くやらないとまずい」ことを抱えていて、相変わらず気が休まらない。こういう時こそ、やれたことに目を向けたい。そのほうが精神によさそうだから。しごと以外でできたことを書く。

 

まず、確定申告を今週終えた。一応2回目だけど、経費を計上したりなんだり、ちゃんとフルセット?でやったのは初めて。家でe-taxでやろうとしたけど、経費の入れ方がわからなくて早々に断念し、LINEで税務署の予約をして、多少書き直したりなんだりあったけど、とりあえず終わった。が、翌日友だちに会って、どうやらもう少し還付金を多くもらえたかもとわかり、仕方ないので来年に生かす!

 

それにしても、がっつり会社員だったときは、ライターの人とかの「確定申告やばい」「確定申告間に合わない」とかがTLに流れ始めると、春だなと思うと同時に、それをなんとなくうらやましい気持ちで眺めていた。いざやってみてどうかというと、面倒だし、焦るし、去年の収入の少なさにビビりもした。しかし、自分のお金のことを自分で見て管理するのは、悪くない気分もある。この気持ちを発展させて、積み立てNISAとかのことも調べてみたい。でもひとりじゃやらなさそ〜。

 

あと、金曜と日曜は久しぶりに観劇した。演劇は予約していたら、よっぽどのことがない限り行く。それが今の自分にはいい。強制的にしごとじゃない時間が訪れる感じで。2つ観た作品は、どちらもそれぞれの方向性にチャレンジングだったのだけど、どちらもいまいち乗れなかった。やろうとしていることはわかる気もするけど、自分の好みではないという感じ。でも別にいいんです。乗れない演劇を観ながら、乗れる、好きな作品とのちがいについて想いを馳せ、そうしているうちに自分がどういうものを観たいと思っているのか、ひいては何を大事だと考えているのかが見えてくる。だから、基本的にはそんなに乗れなくてもまあいいかなと思っている。乗れた方がうれしいのはもちろんの上で。

 

しかし一度だけ(ではないかもしれないけど)、なんでこんなレベルの低いものを観にきてしまったんだ、と怒りがおさまらないものを観たことがあった。TLでの評判はそこまで悪くなかったので、自分の嫌ポイントが刺激されただけっぽいが。しかし、「こんな程度の低いものを引き寄せたのは、私がこんなボロボロの服を着てるせいだ」と怒りの矛先を自分にむけ、翌日服を新調した。でもそういうことは珍しい。まあ、それでさえ、自分を何かしらの行動に向かわせてくれたのだから、そういう意味ではいいのかも。本当の本当に嫌なのは、「何も思わない、感じない」だから。感想が何も浮かばないものよりは、たとえそれがネガティブなものであれ気持ちを刺激してくれた方がまだいい。

 

あとは最近のホットトピックとして『北の国から』 があるんだけど、これはちゃんと書いてみたい。連続ドラマ版を毎日1話ずつ観ていて、本当にたまらない。半分ドキュメンタリーみたい。うん、これはじっくり書きたい。また今度だな。

2021年4月4日(日)/派遣とフリーランス兼業の現状と悩み

自分がこのところ起きているときにしてることといえば、仕事、準仕事(仕事につながる何かを読んだり見たり)、SNSTVerradiko&U-NEXT、オートミール、コンビニで売ってるスタバのチャイ、最小限の家事、そのくらい。

 

去年の12月から週3日働きに出て、それ以外は個人で受けた仕事をしている。どちらも書いたり編集したりの類の仕事で、それ自体は望んでやっていることである。日々自分の能力不足に直面しているが、仕事にできてよかったと思っている。しかし、問題は仕事量の調整である。つい最近までは、個人の仕事がそんなになかったため、暇で、お金が足りないなぁと思っていた。それがありがたいことに仕事が増え、すぐにぱつぱつになってしまった。お金は、初任給くらいには届きそう。なぜ仕事が増えたかといえば、別に自分の能力がいきなり上がったわけではなく、知り合いがたまたま仕事を発注する側の人になったからだ。仕事が少ない時、このように偶然仕事が増えるということを知っていたら、そんなにジェラすることもなかったのに。とはいえ、偶然増えるということは、逆もまた然りで、すぐにまた暇でお金が足りない期がやってくる。忙しい時とそうでない時の差が大きい。そう考えると、いただける仕事はすべて受けておきたくなり、仕事以外の時間がどんどん削られていく。

 

一つは、派遣で行ってる週3日の仕事を辞めるという選択肢がある。フリーランスの仕事だけで毎月初任給程度に稼げるようになったらそうしたいと思っていた。しかし、別の問題がある。人と話す機会がグッと減ってしまうことだ。週3の仕事の方は、記事を作る業務にも関わらず、なぜか出社しなければならず、最初は不満を持っていた。しかし、4ヶ月通ってみて気持ちが変わってきた。同僚の方々とランチに行ったり、仕事中に色々教えてもらったり、そういう時間が自分の心のこわばりをほぐしている。もちろん通いならではのストレスもある。納得がいかないこともある。しかしそれでも、人に会うことで保たれている何かがある。

 

逆に、派遣の方の日数を増やす、または他に正社員や契約社員として雇ってくれる会社を見つけ、個人で仕事を受けないという選択肢もあり得るが、それはそれで違う。今までの経験を振り返り、一つのところに勤めると、その会社なり団体なりに「捨てられないようにせねば」という気持ちが働く。そしてそれが何より自分を追い詰める。安定した身分の代わりにずっと「申し訳なさ」がつきまとい、そのせいで無駄に頑張ろうとしてしまう。そんなふうに思わず、堂々としていればいいのだろうが、これは今のところわかっている自分の性格であり、性格を捻じ曲げて適応するよりは、性格に合わせて働き方を調整する方がいいと判断している。それに、私がどう思おうが、どうがんばろうが、会社の側には別の論理があるので、切られる時は切られる。それならば、やはりいろんな人たち、いろんな会社から仕事を発注してもらう方がいい。

 

こないだ久々実際に会って打ち合わせしたフリーランスの方が、「環境が変わって、家に人がいる状態だと、仕事の合間にちょっとした雑談ができて、そのせいか仕事が前よりはかどる」と言っていた。ああ、そうだよなぁあああと思った。

 

家に人がいるのはうらやましいが、誰かとそうなる予定が特にない。友だちとルームシェアって感じでもないし、誰か恋愛対象になる人と一緒に住むことも考えにくい。マッチングアプリとかやる気力なんてまずない。そもそも恋愛はそれ自体でまた別のストレスである。何かで読んだけど、よいものであれ悪いものであれ、変化自体ストレスの要因になるらしい。人生にはどうしたって変化が訪れるもので、自分の人生にも、どうしようもなく誰かといたい、って気分になるときがまたあるのかもしれない。しかし、自分でその機会を望みに行くほどの気力と時間、あるいは切迫した何かがない。

 

雑談については、週に2日バーのバイトをして賄えていた。いまは店自体が休業していて、その時間がなくなってしまったことも、暮らしのバランスが悪い原因だ。晴れて店が通常営業に戻ったとしても、永劫そこにあり続ける保証はない。雑談を日常的に得るための他の手段が必要。

 

というわけでいま思う一番の理想は、仕事はすべてフリーランス(業務委託含む)で受ける体制、かつ、フリーランスの仲間数人で一緒にシェアオフィスを借りる、です。って、前からそんなことを思っていた気もするけど、その思いが強化されたという感じ。フリーランスの人たちとのゆるいつながりを増やしたいというのには他の理由もあるのだけど、それはまた今度書いてみたい。どれもこれも、書いたから何ってわけでもないけど、希望は自分の外に出しておいた方がいい。というわけで仕事に戻ります。

2021年4月1日(木)/退職エントリ不作の年だった/『ミナリ』観た

昨日はFBに退職エントリが上がるのを楽しみにしていたけど、一個も見当たらなかった。退職エントリ自体が廃れたのか、自分の知り合いに変化がなかったのか。だいたい似たようなこと(歯切れの悪い退職理由、前職の同僚への感謝など)しか書いてないものだとしても、知ってる人の仕事の変化を見て、ほうほうと思いたい。

 

今日は、珍しくファーストデーに映画が観られるということで、『ミナリ』を観てきた。1980年代(パンフ読むまで時代がわからなかった)に、韓国からアメリカに渡った家族の話。

 

序盤にあるシーンで、ヒヨコの雄雌を分ける作業の休憩中、雄のヒヨコがまとめて廃棄されることを、父親が息子に教えると、息子は「なんで雄は要らないの?」と聞き返す。「雄は食べても美味しくないし、子どもも産めないから役に立たない。だから僕らは役に立つことをしないといけないんだ」と教える。これが、この映画のひとつの肝だろう。そういう考えが、「家族のためを思って」といいながら、家族の意見を聞こうともしない姿勢につながる。しかし、父は「黙っていたら自分は役立たず」と強迫観念的に思ってしまっているのだから、家族のためと言いながらも、実際は社会的に成功して、自分が「役に立つ」証明をしないといられないんだろうなと思った。

 

そのほかにも気になるポイントがあって、もうちょっと『ミナリ』のことを書きたいんだけど、眠くなってきたらまた今度書くかもしれないし書かないかもしれない。

 

今月は、今まで以上にゆるめの内容を、こまめに更新して行けたらなと思ってる。割とやることが多い月になりそうで、だからこそこまめにお掃除していきたいということです。

2021年3月26日(金)/古けりゃいいってわけでもないけど

心の澱を排出するために日記を書いている。今週はまだ一度も書けていなかったから、きっと心の底には澱が溜まっている。自覚する前に、ちょこちょこと掃除するのが理想です。

 

心の澱を排出する他の手段に、人と他愛なくおしゃべりすることが挙げられるが、仕事以外は特に誰ともおしゃべりせず、連日店の前まで行った立ち飲みも、定休&混雑で入れなかった。遊びが足りない。配信とかTVerを見たりラジオを聞いたりはしてるけど、もっともっとどうでもいいことがしたい。別におもしろくもない、なんでもないことをしたい。

 

しいて言えば、今週自分で髪を染めてみたのが、いちばんいい感じにどうでもよく、楽しい時間だった。

 

会社で目の前に座るMさんの毛先が青く染まっていたので、「え、めっちゃいいですね!」と興味津々で聞いてみたら、自分で染めたと。送ってくれたAmazonのリンクをみてみたら、韓国製の可愛いトリートメントで、染めて8日間だけ色がキープされるものらしく、しかし1,100円って安すぎてちょっといぶかしい……けど評価を見る限り悪くなさそうだったので即ピンクを買って、翌日届いた。受け取るや否や試してみたら、染まるには染まったけど、もっともっとピンクにしたい。ちょっと色を入れたことでかえって欲が高まった。そのうち美容室に行くしかない。

 

しかしなにより、髪色を8日間だけ変える1,100円のトリートメントの情報交換そのものが、17歳的で楽しかった。実際の自分の17歳を振り返ると、たしか髪を染めることには興味がなく、うっかり切りすぎた髪の毛をどうしたら早く伸ばせるかの方が切実な問題だった。「2001」と言うシャンプーを使えばいいらしいと雑誌の広告で知って買ったか、お金がなかったからその類似品で我慢したか、そこははっきり覚えていない。

 

あと今週よかったのは、3月31日で50年間の営業を終えるローズガーデンに行けたこと。数回しか行ったことのない私の側が、妙に感傷的な気分なのとは対照的に、マスター(と思われるおじさん)も奥さん(と思われるおばさん)も、昼から飲んでる常連のおじさんたちも、いつも通りなのがよかった。ちょっと考えたら、閉店数日前からそんな物思いに浸ってる方が変なんだけど。味つけだけじゃなく、空間そのものにも心底落ち着く何かがある。閉店後は娘夫婦が中華料理店を始めるらしいが、あまり大幅に改装しないで欲しい。勝手な要望だけども。

 

そういえば、南口の中野屋も3月31日に閉まる。昼は立ち食いそば、夜は立ち飲みのお店で、こちらもまた古い。どこかに向かう前にさっと何かを食べておきたいけど駅ナカのBECKSではなんとなく味けないなって気分の時、たまにそばを食べに行っていた。正直言って美味しいかというとそうでもなく、でも無愛想なおじいさんがそばを茹でてる感じや、ガサガサとした音でAMラジオがかかってるのがよかった。アザミやブリックも閉まったし、中野の古いお店がどんどんなくなっていく。中野サンプラザも数年したら解体される。長く続くお店や建物を求める人は、どこに住めばいいんだろうな。

 

 

2021年3月21日(日)/うしろめたさが俺の武器だ!

買った卵を持ってった袋に入れようとしたら手を滑らせて落としちゃって、うわ〜と思うが先か、レジの店員さんがすかさず売り場まで走って、なんとそのまま新しい卵と交換してくれた!その親切心(あるいはレギュレーション)にありがたさと申し訳なさで猫背になっちゃったんだけど、これに似たことが仕事でもいくつかあった。人にお気遣いいただいてしまった時の、この申し訳なさ、いたたまれなさってなんなんだろう。「ありがとう、サイコー!」みたいにアッパーな感じで返答した方が、相手も気分がいいものかなと毎度考えてしまう。だけど、そうできない性格に助けられてきた気もする。

 

書きながらどうでもいいことを思い出した。大学生だったか就職したてだったか、帰省して父と外食した時、上司に奢ってもらう時の財布のチラ見せ具合などの「お作法」を練習したことがあった。「いやそれだら財布しまうの早いわ〜」(北海道訛り)とかヤイノヤイノやった覚えがあるけど、その時教わった「申し訳なさそうな演技」をいまだにやってるのか?

 

しかしな、年齢的にはいい加減自分が「施す」側のはずが、なんつーかいつも「施される」側にいる気がしてかたじけないわ。なんだろうね、人に生かされてるとか言ったら安直ですけど、本当にそうだな。

 

っていうかあれだな、私なんぞは若いころよりもプライドがなくなってきてるから、その意味でいまは以前よりは「施し」を素直に受けられるようになってるかも。もっと気持ちが張り詰めていた時のことを考えると、やさしさをやさしさだと認識できなかった時期すらあったから。体調を気遣われるの腹立つ、弱いやつ扱いするなし、みたいな。せっかく差し伸べてくれてた手を「自分でできますんで!」みたいにして邪険に振り払ったことがたくさんありそう。いまにして思うと、弱さに引きずられないよう必死だったんだけど、「かわいそう」だと思われたくない気持ちが異常に強かったのは若さのせいなのか? 

 

最近になってようやく、「かわいそう」だと思われていいというか、虚勢を張らない良さみたいなものを実感していて、思えばこれもまた周りの人たちのおかげだなー。なんなんだろう、今日は周りの人たちへの感謝が止まらない。もしや、この感覚こそ子ども期の終わりを告げてる?

 

2021年3月20日(土)/過疎には過疎のよさがある

苦行のような書き起こしが終わった。三日間まるまるかけてようやく終わった。大変だった。

 

っていうのを本当はネットの大広場ツイッターに書きたかったけど自重した。仕事をお願いしてくれた人は、おそらく私のツイッターを見ていないので気にしすぎだろうけど、誰がどんな気持ちで見てるかわからないので。ブログも公開してるから同じっちゃ同じでも、ツイッターほどひと気に晒されていないので多少油断していたい。過疎には過疎のよさがある。あと、「苦行」のニュアンスも、ツイッターに書くとなんか歪む。

 

自分は人を傷つけたくない以上に、自分が傷つきたくないというエゴのために穏当を心がけているけど、その一方、例えばツイッターでウン十万フォロワーとかいて、しかも本人だとわかる状態の人が、仕事関係の人にされた嫌なことを堂々と書いていて、それにたくさんの反応がついているのを見ると、毎度ギョッとなる。フォローしてない私のところにまで回ってくるんだから、関係者が見ないことはないと思う。そういうのも見越した上で書くんだろうなきっと。その人の口ぶりはいつも被害者のようで、しかし見方によってはもはやある種加害者だろうと思ってしまう。フォロワーがウン十万人いることは、今の世の中、すでに一つの力といえる。自分の加害性に自覚的で、それをコントロールできる人の方が「売れる」のかな。私にはやっぱり「加害者」になる覚悟みたいなものがまだ足りないんだとたまに思う。「加害者」って言葉が適しているのかはわからないけど、生きている限り誰かの足を踏まざるを得ない中で、その加害性を背負う、みたいな、そういう話。または、あれらの仕事関係者グチは全部共感を生みそうなウソだったりして。

 

まーそんなことは置いておいて。とりあえず終わってよかった。一瞬ぼんやりしたい。散歩でも行くか。明日で終わっちゃう千葉正也展もできれば行きたい。15時から仕事があるけど、まともな時間に起きれば間に合う。でも起きる自信ないなー。

 

2021年3月16日(火)/月火水のルーチン

週3通っている会社のフリースペースには、ゆりかごのようなものがあり、お昼はだいたいそこにいる。いまも揺られながら書いている。

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↑これじゃないけどこんな感じ。今日入ったゆりかごはクッションの配置がよいので、ふかふかに包まれて気持ちいい。

 

そういえば、通勤で、新宿から相鉄線に乗り入れる電車に乗ってるんだけど、山手線でも行ける場所なのにわざわざ相鉄線に乗るのは、その電車が始発で必ず座れるからだった。のに、昨日から様子がおかしい。ダイヤが乱れたのかと思ったけど、2日連続は変だと思って調べたら、先週土曜にダイヤの改正があったみたい。誰も悪くないけど、朝からイラついた。朝の電車で目を閉じる10分間が好きだったのに。

 

会社に着いて、仕事を始める前に朝日新聞デジタルで気になる記事を読む。今日気になったのは、

digital.asahi.com

digital.asahi.com

上の記事は、政治家の会食をめぐる問題に関連したもの。脱サラして漁師をやるため地元青森に戻った男性が、村社会ならではの慣習に苦しみ、新しいビジネスを始めるのに苦労したが、いまはそこを脱してのびのびやってると言う話。映画『あのこは貴族』のなかで、地方の富山であれ、東京の真ん中であれ、家至上主義の価値観がある限り、そこにある文化は大きく変わらない、みたいな台詞があって、そのことを思い出した。

 

下の記事は、「御用ジャーナリスト」を朝日新聞の記者がインタビューした記事。最初わたしはこの人のことを何にも知らなかったけど、朝のワイドショーに出てくると、声もしゃべり方も顔もぜんぶうそ、なんか気持ち悪いと思ってチャンネルを変えるようになった。この、感覚的なものってなんなんだろう。わたしの実家は別にリベラルではなかったし、父が仕事の付き合いでたまに聖教新聞をとってたりしてて(実家はたしか浄土宗)、なんというか適当だった。だとすると、この「気持ち悪い」という感覚は、割と最近になってできたセンサーによるものなんだろうか。

 

ともかく、普段なら「こんなやつ」の話を読もうとは思わないんだけど、異なる立場の人が話しているものを読むのはおもしろい。記事もおもしろかった。詳しく書くのはめんどいけど、あとで足すかも。

 

同じ感じで、石戸諭さんの書いた百田尚樹本も気になってるのだけど、まだ買えてもない。やっぱり根本的に「きもい」と思ってしまっているので、読むのには多少体力がいる。他人に対する快/不快って、ほんとのところなにに由来するんだろうなぁ。