2021年7月8日(木)/打算のない関係だけが美しいのかーー映画『愛について語るときにイケダの語ること』

『愛について語るときにイケダの語ること』は、生まれつき体に障害を持つ池田英彦さんという方が、がんを患ってから亡くなるまでの最後の2年間の映像をもとにした約60分の短い映画だ。その時間の多くを構成するのが、彼自身による「ハメ撮り」だと聞けば、私のようなものは好奇心をくすぐられてしまう。映画を観て、また上映後のトークを聞いて、それはまさに池田さんの術中にハマった形だとわかった。観に行くきっかけは「すでに他界した障害者のセックス映像」への興味だったが、観終わってから考えたのはそれ以外の部分だった。それもまた池田さんの思う壺だろう。

 

映画は、自身で撮影したハメ撮りのシーン、友人であり脚本家の真野勝成さんが池田さんを撮影したシーンとで構成される。

 

それまで市役所に勤め、創作には特に興味を示していなかったという池田さんは、死を前に、「今までやれなかったことをやりたい」と思い立つ。そしてデリヘル(たぶん)で女性を呼び出してはハメ撮りに勤しむわけだが、池田さんは一方で、お金を介在させずに女性と関わりたい、池田さんの言葉を借りれば「心を委ね」たいという願望を持つようになる。そこで、友人の真野さんが手配した俳優の女性と一緒に、映画のワンシーンとしての「デート」を決行するが、池田さんは最終的に自分の「弱さ」に直面してしまう。

 

池田さんは決してモテない人ではない。顔は滝藤賢一みたいだし、服装にも気を遣っているし、立派な車に乗っている。職場の人間関係にも恵まれているようだったし、以前は歌舞伎町のキャバ嬢と同棲していたこともあるという。しかし、どうやら彼は、お金の介在しない、いわばお互いに打算のない関係に耐えられないようだった。それは言い換えると、自分自身の存在に耐えられない弱さのようにも映った。

 

最後まで、望んでいたように女性へ「心を委ねる」ことができなかった池田さんは、一方で、友人の真野さんに、この映画にまつわるすべての決定権を委ねている。池田さんの死後に、彼のハメ撮りと、真野さんが撮った映像を編集し、映画にしてほしいと。そしてその際の編集権はすべて真野さんに委ねると。(実際の編集作業は映画監督の佐々木誠さんが担当)

 

わたしには、もはやそれは「愛」なのではないかと思った。女性との関係にお金を介在させたように、真野さんとの関係には映画を介在させてはいるが、自分の生きた証を委ねるには、言うまでもなく絶対的な信頼が必要だろう。

 

血縁や恋愛で結ばれた関係性は、誰もが「愛」と認めやすい形だろう。その関係性に金などの打算がないほど、美しいものだとみなされるが、本当にそうだろうか。池田さんのように独身で、恋人もおらず、死ぬまで「勃つ/勃たない」で友人と笑い合い、死んでいった男性は、「愛」に恵まれなかった人とみなされてもおかしくない。しかし、この映画が公開された事実は、池田さんの周りに紛れもなく「愛」があったと言うことを証明している。わたしにはそう感じられた。

 

セックスシーンはあるがエロくもなく、死をことさらエモーショナルにも描かないこの映画に、化学調味料を使わずに作った料理を食べたような気分、いたずらに感情を乱高下させるような仕掛けがないからこそ、楽しいとか嬉しいとか悲しいとか、簡単な形容詞に収まらない静かで割り切れない感情が芽生えた。

2021年6月3日(木)/怒られる花も枯れて

今週は特に締め切りがない。

月火水は派遣の仕事があって、それ以外はフリーの仕事をしている。先月は終盤になるまでなんだかんだほぼ週7で働いていたので、6月に入って暇になることを心待ちにしていたのに、いざ余裕ができるとポツネンとしてしまう。

去年からやろうやろうと思い続けてるポートフォリオを作るなり、企画書を書くなりに絶好の時間ではある。でも、もう一つやる気が起きない。なぜかというと、「人に怒られるかどうか」が自分のなすべきことの一つの基準になっていて、ポートフォリオを作らなくても、企画書を書かなくても誰にも怒られないからだ。

これはおそらく純会社員時代(最初の会社にいた頃を指す)に根付いた発想で、その頃もやらなくても自分にしか迷惑がかからないという意味で、交通費精算をいちばん後回しにしていた。今にして思えば、あの時割と仕事を頑張っていた奥底にあった気持ちは、「認められたい」以前の「怒られたくない」だったのかもしれない。現在の年齢の問題や立場の問題からして、「怒られたくない」以前に、やらないとダイレクトに自分の生活に関わる話だというのに。

そう思いつつ、今日はのんびりした。

昨日、『北の国から』を観て夜更かししていて、気づいたら「エイリアンズ」を語る番組の時間になっていたので、一応観た。ずっとキリンジ及びKIRINJIが好きな身からすると、今ごろ21年前の曲がなぜこんなに取り上げられるようになったんだろって具合に、逆に世の風潮に乗れない気分でもある。

でも、暗い部屋に寝そべって深夜のテレビでキリンジを見てるこの時間が、21〜2年前に初めて深夜の音楽番組で「牡牛座ラプソディ」のPVを見た実家の2階の暗いリビングとつながった。

2つの時間がつながると、21年の月日は一瞬のことに感じられて、そうなるとたぶんこの先21年は、もっと早く過ぎるだろうと変な確信を得てしまった。思ってたよりも、人生はすぐ過ぎるのかもしれない。

これは『北の国から』を観ていても思ったことだ。1981年に連続ドラマから始まり、2002年のスペシャルドラマまで続くなかで、登場人物たちは実際の時の流れと同じだけ年齢を重ねている。これは私がリアルタイムで観ているわけではなく、まとめて観ているからだろうが、人の成長、そして老いを突きつけられるようで動揺してしまう。

スペシャルドラマのなかで何度も、五郎が一人で暮らす部屋に飾られた、小学生の純や蛍の写真が写されるのだが、その度になぜか「あの頃はもう戻ってこないんだよな」と感傷的な気分になってしまう。自分のなかのどこかに、「あの頃(連続ドラマ)=黄金期」という思いがあり、親が子といられる時間の短さを、なぜか親目線で考えて胸が痛くなる。

自分の話に戻ると、実家を出て暮らした年数が、実家に住んでいた年数と今年ついに同じになった。私を怒ってくれるような人も、気がつけばもういない。残りの時間が決して長いわけではないことを意識しながら、それでもやっぱり今日という日をのんびり過ごした。

2021年5月29日(土)/成熟度を測る指標

最初に書きかけた日記は、このところいちばんストレスに感じている人のことを連ねてしまい、なんかちがうと思って、だけど消したくもないので下書きに入れた。嫌な人のことを書くと、鼓動が早まる。良くも悪くも自分を刺激する相手なのだ。だからこそ気をつけたい。こういう時は、相手のことではなく、自分の認知の話をした方がいい。どんな人が現れようとも、自分がどう認知するかでしかないのだから。

 

30代前半くらいまで、他人の咳が気になって仕方なかった。なぜかというと、自分がその人の咳の原因だと思っていたからだった。今にして思うと、その認知の仕方は我ながら気の毒である。でも、本気でそう思っていたので仕方ない。

 

そういう歪んだ認知に気がつき、自他の境界というのものを自分の世界に取り入れられるようになって、少しずつ他人の咳を自分のせいだと思う考え方を一つの癖として、自分から切り離せるようになってきた。考え方の癖を自覚できるようになり、適切な距離を保てる人、つまりは自分を不用意に傷つけることのない人との交流を大切にするよう変化していった。

 

それでも、「あなたのせいだ」という態度を(おそらく)無意識に出してくる相手に出くわすと途端に、もう使わないつもりだった思考回路の溝をなぞってしまう。そういう弱さに気がついた。それはもう、自分の根幹に関わる問題でもあり、そういう部分を刺激する相手とは距離を置くしかない。心身を侵食する相手と必ずしも向き合う必要はない。

 

要するに、人としての成熟の話だ。自他の線を引けない自分自身がまず未熟だったし、一定の線を引かない幼稚さは、自分も相手も傷つけうる。成熟というのは、年齢や性別、未婚既婚、子どもの有無にはかかわらない問題である。

 

結局は自分のスタンスの問題でしかなく、嫌な気持ちを沸き起こさせる相手とのエンカウントは、気づきを与える何かの使者として捉えたい。自分の癖に気がつかせてくれてありがとうございます。そしてさようなら。

2021年5月5日(水)/微だけど無じゃない

気づいたら連休が後半に入ってるらしい。次の木曜に友だちをランチに誘ったら、もうその日は会社だそうです。そんなもんなのか。早いな連休。

 

何から伝えればいいのか、わからないまま時は流れて、な小田和正状態で、ちょっと日記の間があいたうちに書きたいことが目詰まり起こしてる感じ。

 

とりあえずこの数日考えてること。買い物は暮らしのなかの投票活動、みたいな考え方がある。自分の信条に合わないことをしている会社の作るものにお金を落とすのではなく、自分が応援したい、自分と考えが合う会社の作るものにお金を使おうと。自分自身はそこまで実践できていないけど、その考え方に近づけていきたい気持ちはある。

 

で、お金を使う側の行為であるところの「買い物」が投票の意味を持つのと一緒か、あるいはそれ以上に、お金をもらう側の行為であるところの「仕事」も投票みたいなものなんじゃないかと思うようになった。

 

自分ひとりの力というのはとても微力で、大したことはできないのだけど、しかし「微」であって決して「無」ではない。いくら謙遜しようとも、生きている以上、誰しも「無」にはなれない。となると、自分が時間を費やしていることが、実は自分が推し進めたくない社会の実現に寄与していたら嫌だな、と思い始めた。誰かにお金をいただいている以上、100%自分の思い通りには行かないし、どこまで許容できるかということなんだろうけど。そして、みんな(?)そんなことにはとっくに気がついているのかもしれないけど。

 

それに関連した話。最近読んだ空気階段の2つの記事が、デタラメだったり愛情が足りなかったりするものだった。深い興味がない書き手による記事がでるということは、多分「売れてる」証拠でもあるんだろう。だけど、深い興味を持って空気階段を見ている側からすると、歯がゆさがある。書くならちゃんと書いてくれよ、そんなんだったら私が書きたいわ、と。そんで実際、自分が空気階段を去年取材した記事を読み直してみたら、ちゃんとおもしろかった。ほら、やっぱり!と。

 

しかし、そんなことを思うと同時に、妙な引っ掛かりも感じた。すぐにその引っ掛かりの理由がわからず、自分のことは自分じゃ見えないなと思うけど、よく考えたら自分だってさして興味のないテーマに関する記事を書いている。だから世の中に、対象への深い愛情や関心のない書き手による記事を増やしているということでは同罪。

 

これは空気階段に限らない話だけど、つい最近まで、すごく好きな対象については仕事にしないほうがいいのかも〜、とかそれっぽいことを考えていた。でもそれは自分の腰が引けてるだけかも。深い関心を持つテーマに触れたり、強く惹かれる対象に会ったりすると、自分の感情に燃やし尽くされそうになる。カロリーを大量消費する感じ。だから大変は大変なんだけど、それでも、自分が体重乗せられるテーマに怯んではいけないような気がしてきた。そのほうが自分がまず充実するし、充実した仕事はきっと誰かにも届くと信じたい。そんなことを思いながら、とりあえず締め切りまでに終わらせないといけないものたちをさばくことに必死な連休。

2021年4月30日(金)/40万の使い道

今日は親知らず抜歯の前哨戦?として、歯石を取ってきた。6年前にやってもらって以降初めてだけど、前回の記憶よりもだいぶ詳細にみてくれた。歯茎にちくちくと針を刺されながら、出血率とかをみてもらって、その後もちくちく刺されながら歯石を取ってもらった。「痛かったら教えてくださいね〜」と何度も言ってくれたけど、痛さが妙に気持ち良くて、黙ってその痛さを味わった。うまくいえないけど、施術?してくれた女性も不思議と楽しそうだった。歯石なんて汚物なんだから、楽しいはずもないんだけど。それにしても体の一部を他人に預けている時間には、微妙な甘やかさがあります。

 

親知らずを取ろうと思ったのは、マスクをしている間にやっちゃいたくなったからだけど、今日みてくれた女性からは、マウスピース矯正も勧められた。確かにマスク中にやるのは良さそう。40万円でできると言われた。口ぶりからして40万円と言うのはどうやら安いみたいなんだけど、今の自分にはポンと出せる金額でもない。

 

じゃあ誰かに40万円をポンと渡されて、歯列矯正には使うかと言うと、たぶん使わない。脱毛もしたいけど、それもやらなさそう。現実的なことを考えると、生活費としてだらだら消えていくという一番つまらない使い方になると思う。でも、もし一個の目的のために使い切るというルールがあったら、自費出版でなんかを作りたい。40万円だと、どんなものが何部くらい作れるのかわからないけど。

 

誰の役にも立たず、中立でもなく、正義でもないものを書いて、どなたかにお願いした素敵な絵か写真をあしらい、わざわざ紙に印刷して、値段をつけて売りたい。ウェブメディアは全方位に気を使うので疲れる。これまで行き場がなかった気持ちを置く場所がほしい。こないだものすごく久しぶりに、原稿がゲラになって戻ってきたときの高揚感をまた味わいたい。書きたいことなどなく、紙に刷ってみたいという気持ちだけがある。手触りのあることがしたいだけ。

2021年4月29日(木)/浮かない連休

今日から連休。去年に引き続き、浮かれ要素の少ないゴールデンウィークだ。1年経って状況が逆戻りするどころか悪化してさえいる。そして自分個人としても、世間以上に浮かれ要素がない。去年に引き続き、連休明けが締め切りで、GWをまるまる潰さないと間に合わない仕事を受けたからである。派遣労働がない代わりに、そっちの仕事に時間を費やすおかげで、収入は減らずに済むのではあるけれど。

 

時間をかけないと終わらない仕事があると、つい予定を開けておきたくなる。でも、実際のところ自分の集中力が持続する時間はかなり短い。それならば、だらだらと机に向かう時間を取るよりも、いっそ他の予定を入れたほうがいいかも。そのほうが机に向かっている時間の緊張感と集中力が増すはず、というのが最近立てた仮説です。

 

実際、最近何度か試してみた。3人でルームシェアをしている友だちの家のリビングで仕事をさせてもらったり、仕事の合間に誰かとご飯に行ったりしてみたら、やっぱり良かった。義務感に縛られて机に向かうも、気づいたら延々ツイッター見てる、みたいなことをしがちなので、誰かの存在が身近にあったほうが自分にとってはいい。身近になくても、間に雑談を挟むと気分転換になって、その後捗る。連休中も適度に予定を入れることで、机に向かう時間の質を上げたい。

 

ところで1週間日記を更新しない間、色々と書きたいことがあった。それなのに、書く時間を取れないうちにどんどん気持ちが変化するので、どこから書いていいのかわからなくなってしまう。

 

具体的には、ウェブメディアってなんなんだろうなってことを考え続けて、発端はcakesの諸々の話だ。自分はこの問題に対して全然他人事ではない。だけど、書き方を間違えると、なんだか主語が大きすぎる話になるか、あるいは細かすぎる話になってしまいそう。別に物申したいわけではなくて、思ったことを書きたい。すぐに調子に乗って大きなことをいいたくなるけれど、自分の目で見て、感じたことだけを言っていきたい。自分を乗っ取られないように、いつも気をつけたい。

 

以前は、気持ちというものはどんどん変化するから、それを書いてわざわざ人目につく場所に晒すなんて、と思っていた。だけど最近は、変化するからこそ書き留めたいと思う。いつも完成することのない自分を晒しておきたい。

2021年4月18日(日)/歯の健康優良児・その後

気づけば、歯に意識が行く。数週間気になってる口のなかのしょっぱさ、もしかして親知らずが関係しているか? と思い立ち、歯医者の予約を入れた。3年くらい前に、親知らずが右だか左だか忘れたが、とにかく真横に生えていることを知ったけど、すぐに抜く必要はないとのことだった。「ご自身でよく考えて、よい時期に抜いてください」と言われたが、それってどういうことだ?と釈然としないまま帰った。

 

あと、口のなかのしょっぱさや気持ち悪さは、胃腸の問題ではなく、8割方口のなかに問題があると検索の果てに見つけたことも歯医者に行きたくなった理由の一つ。

 

3年前と同じ歯医者で、呼ばれて個室に入ったら、デデンと以前のレントゲンが映し出されて、その日付は6年前だった。思ってたより3年も前だった。私の記憶は、2015年以降がかなりグチャッとしている。5年前に買った服を、まだ比較的新しいものとして認識していたりして、時間の感覚がおかしい。20代の頃はそんなことなかったと思うんだけど。30代ってそういうものなんだろうか。人によるか。

 

さておき、再度レントゲンを取ることに。親知らずは確かに伸びてきているけど、まあ、抜きたいなら抜いてもいいと思いますよ、いずれ隙間に汚れが溜まりやすくなりますから、と、なんかこう即断しにくい空気を出してくる。別に歯周病も虫歯もないし、口のなかしょっぱいって、うーん、なんでしょうね、あんまり聞かないですね、とほしい答えをくれないし。一瞬でもいい、うそでもいいからスカッとジャパンしたい。「これが理由だったのか〜!」と。

 

親知らずを抜くかどうか。6年前に診てもらった時に、生え方が真横に行っちゃってるので、簡単には抜けず外科手術が必要、と言われたのをうっすら覚えていて、昨晩検索してみたら、親知らずを4本まとめて抜いた人の体験記が見つかった。その人の手術後はなかなかに壮絶で、読んでビビリ散らかした。数日入院コースで、全身麻酔を打って手術に臨み、術後は高熱を出して意識が飛び、気づいたら尿道カテーテルを入れられていたとかなんとか。

 

それで、私の親知らずも外科手術という話だったので、「あの、抜くとしたら入院とかって……」とおずおず聞いてみたら、いやいや、外科医がうちに来るタイミングで抜歯するだけで、入院はないですよ、だいたい1時間で終わりますと軽く笑われる始末。いや、よかったけども。

 

尿道カテーテル入れられる心配もなくなり、どうせ腫れるんならこのマスク期間中に済ませたい。口のしょっぱさ問題の解決には関係なさそうだけど、もう抜いてしまおう!そういうわけで患者側が積極性を持って、抜歯のスケジュール立てをお願いする形に。

 

こうして来月には親知らずを抜く。抜くと顔が小さくなると読んだけど、本当だろうか。恥ずかしくてそれは聞けなかった。小顔効果の信憑性はあやしいが、顔が腫れることと、抜歯後しばらくは、歯があったところに食べかすがたまり、口臭の原因になりやすいことは、かなりの人が報告している。親知らずを生やしたままでも食べかすがたまりやすく口臭の原因となり、親知らずを抜いてもしばらくは食べかすがたまりやすく口臭の原因となる。行くも地獄、退くも地獄。めっちゃ嫌だ。早く穴を塞ぐ工夫をしたい。誰か知ってたら教えてください。

2021年4月17日(土)/甘えに飽きた

映画を観終わって、iPhoneの電源を入れ、ほとんど手癖のようにTwitterを開こうとしたら、ログインできない。未練がましく何度か試したがダメだった。「今日はたくさん遊んで楽しかった〜」と書き込みたかったのに。しかし、書き込めず冷静に考えると、何のためにそんなことをつぶやきたいんだっけ?Twitterってなんなんだ?

 

というわけで、ブログ。今日は、三鷹で演劇を観て、一緒に行った友だちとサイゼリヤで楽しくおしゃべりして、そこからはひとりで阿佐ヶ谷の小さな展示に立ち寄り、新宿で映画を観た。仕事は相変わらず詰まっていて、少しでも時間があるのならなんらか進めておいた方があとあと楽だ。でも、なんかもう嫌。今日明日出さないといけないものもない。だから、今日は丸一日遊ぶことにした。覚悟を決めて楽しいことばかりしてみたら、だいぶ気が晴れた。帰り道、ここ数日ストレスに感じていたことへの自分なりの指針も浮かんだ。

 

フリーの仕事は、「選ばれる」ことにばかり気を払いがちだけど、こちらにも「選ぶ」権利がある。それを忘れていた。一日遊んで、楽しさをいっぱい摂取して、思い出した。

 

どういうことにストレスを感じていたか。自分の考えだけに焦点を当ててそのうち書きたいのだけど、論点がたくさんある。仕事へのスタンス、センシティブな話題を扱う際の手つき、そもそも何を「センシティブ」だと捉えるかの感覚、メディアのあり方などなど。

 

ところで、私は最近まで、「ライター・編集者」と名乗ることにおこがましさを感じていた。これまで自分が接してきた本、雑誌、ウェブ記事。それらを作ってきた編集者やライターの仕事を考えた時に、自分なんぞが同じ職業を名乗るなんて「おこがましい」と。名前を表に出す仕事よりも、匿名で書く仕事の方が多いことにも、「ライター・編集者」を名乗ることへの気後れがあったが、本来それは大きな問題ではない。何かを作って公開してるのにちがいはないのだから。

 

記事の制作を始めて、なんだかんだ丸4年が経った。年数はまだまだ短い。しかし、いい加減「おこがましい」なんて言うこと自体が、キャリアの短さを盾にした「甘え」だと気づいた。どう自認するかにかかわらず、すでに私にはある種の暴力性が備わっている。私が、という特権意識ではない。世の中に何かを伝える仕事をしている人はもちろんのこと、もっと言えば、生きている以上、みんな加害性を備えている。大きな話はここでは置くとして、まずは何かを書いて伝えることに付随する暴力性に限って考えるにしても、それを消すことが正解だとは思っておらず、自分の持つ暴力性をどのように捉え、どう方向づけるかが重要だと思っている。

 

人に迷惑をかけるなら、確信犯でありたい。もしそういう仕事をするのなら、信頼関係があり、共犯関係を結べる相手でないとむずかしい。たぶん、大袈裟な話だと捉えられるだろうけど、そういうことを思った。

 

具体的なことを書かないから、ただの頭でっかち&説教くさい話になっちゃった。あとあと振り返ったとき「言ってんな〜」と恥じる可能性が高い。それもまたいいとしたい。

 

旅行に出ると、普段の生活と距離が生まれ、自分が日々何を感じていたか浮き彫りになったりする。今日丸一日、普段の生活を離れ、とことん遊んでみたことで、旅行の効能のようなものが少しだけ得られた。やっぱり週に一回はまるまる遊ぶ日を持ちたい。

 

2021年4月12日(月)/社会の外へ

なんだかのう〜と思うことありまして、銭湯とサウナでなんだかのう〜を溶かしに行きたくとも、月曜は銭湯が定休日。今思えば、ジョギングでもしてスッキリすればよかったのに、水は低きに流れるもので、買ってきたヒューガールデンを、取っておいた泡が出るビールの缶を使って泡泡にしたものを飲みながらこれを書いている。ちなみに、ずっと試したいと思っていたアルコール度数0.5%の微アルビールも一緒に買った。酔いたいのか酔いたくないのかわからない買い物。

 

ところで、最近口のなかが苦かったりしょっぱかったりする。年に2回はそういう時期がある。なのに毎度対処法を忘れる。そのたびに調べ直して、「亜鉛が効くらしい」と新鮮な気持ちでサプリを買う。今回ちがったのは、なんか流石にDHCやめとくかってことで、ネイチャーメイドのサプリにしてみた。DHCのおじいさん(か知らないけど)、大丈夫なんだろうか。大丈夫じゃないだろうけど。

 

口のなかが苦いせいか、いつもは美味しいヒューガールデンも美味しくない。かくして、溶かすつもりだった、なんだかのう〜は増幅されただけなのであった。と書いてみたけど、ちがうな。正しくは、なんだかのう〜の場所が移動した感じ。

 

ところでところで、最近気づけば「遊びて〜」と心のなかでボヤいてる。この、「遊びて〜」をよく観察し、訳すとするならば、「役に立たない自分でいい時間がほしい」が近い。しごととなると、役に立たない自分が途端に憎らしい。しかし、あまりそんなふうに思っていたくない。限られた人生のなかで、これ以上自己否定の時間を長く持ちたくなどない。だからせめてひとときでも、役に立つ/立たないの次元から離れていたい。社会の外に出る時間がほしい。

 

けっこううろ覚えだけど、誰かと2人だけで手をつなぎ、社会の外に抜け出せる関係が作れるのならば、結婚という制度を利用してみてもいい、ウンヌンカンヌンという話を、二村ヒトシ氏が何かでしていて、それを最近ちょくちょく思い出す。結婚はさておき、誰かと一緒に社会の外に出たい。

 

こういうのは書くと効力が薄れる気がするのだけど、最近の射手座の占いには、恋愛運が良いと書かれれていることが多い。しかし、今の状況下でどうやって人と出会うというのか……。

 

もし次に手を取り合える人が見つかったら、堂々と、は無理だとして、おずおずとでも、のろけるのが大いなる野望です。今のように、ローキーな日々というのは、誰からも妬まれにくいので、ある種書きやすい。もし、わかりやすい「幸せ」が訪れたとき、妬まれてもいいから、自分の日々を残したいと思えたら勝ち。ネクストステップに上がった証拠。よくわからないけど、最近はそう思っている。

2021年4月11日(日)/波風立たせて

常に3個以上「早くやらないとまずい」ことを抱えていて、相変わらず気が休まらない。こういう時こそ、やれたことに目を向けたい。そのほうが精神によさそうだから。しごと以外でできたことを書く。

 

まず、確定申告を今週終えた。一応2回目だけど、経費を計上したりなんだり、ちゃんとフルセット?でやったのは初めて。家でe-taxでやろうとしたけど、経費の入れ方がわからなくて早々に断念し、LINEで税務署の予約をして、多少書き直したりなんだりあったけど、とりあえず終わった。が、翌日友だちに会って、どうやらもう少し還付金を多くもらえたかもとわかり、仕方ないので来年に生かす!

 

それにしても、がっつり会社員だったときは、ライターの人とかの「確定申告やばい」「確定申告間に合わない」とかがTLに流れ始めると、春だなと思うと同時に、それをなんとなくうらやましい気持ちで眺めていた。いざやってみてどうかというと、面倒だし、焦るし、去年の収入の少なさにビビりもした。しかし、自分のお金のことを自分で見て管理するのは、悪くない気分もある。この気持ちを発展させて、積み立てNISAとかのことも調べてみたい。でもひとりじゃやらなさそ〜。

 

あと、金曜と日曜は久しぶりに観劇した。演劇は予約していたら、よっぽどのことがない限り行く。それが今の自分にはいい。強制的にしごとじゃない時間が訪れる感じで。2つ観た作品は、どちらもそれぞれの方向性にチャレンジングだったのだけど、どちらもいまいち乗れなかった。やろうとしていることはわかる気もするけど、自分の好みではないという感じ。でも別にいいんです。乗れない演劇を観ながら、乗れる、好きな作品とのちがいについて想いを馳せ、そうしているうちに自分がどういうものを観たいと思っているのか、ひいては何を大事だと考えているのかが見えてくる。だから、基本的にはそんなに乗れなくてもまあいいかなと思っている。乗れた方がうれしいのはもちろんの上で。

 

しかし一度だけ(ではないかもしれないけど)、なんでこんなレベルの低いものを観にきてしまったんだ、と怒りがおさまらないものを観たことがあった。TLでの評判はそこまで悪くなかったので、自分の嫌ポイントが刺激されただけっぽいが。しかし、「こんな程度の低いものを引き寄せたのは、私がこんなボロボロの服を着てるせいだ」と怒りの矛先を自分にむけ、翌日服を新調した。でもそういうことは珍しい。まあ、それでさえ、自分を何かしらの行動に向かわせてくれたのだから、そういう意味ではいいのかも。本当の本当に嫌なのは、「何も思わない、感じない」だから。感想が何も浮かばないものよりは、たとえそれがネガティブなものであれ気持ちを刺激してくれた方がまだいい。

 

あとは最近のホットトピックとして『北の国から』 があるんだけど、これはちゃんと書いてみたい。連続ドラマ版を毎日1話ずつ観ていて、本当にたまらない。半分ドキュメンタリーみたい。うん、これはじっくり書きたい。また今度だな。