2022年9月1日(木)/再開

始めるまでの億劫さと、得られる充実感は比例していると思う。身近なものだとシャワーやお風呂、(たまにしかしないが)ジョギングなんかもそうで、やればすっきりするのがわかっていても、始める前はめんどくさくて仕方がない。仕事も同じで、充実感は薄いけど手を動かしさえすれば終わるものにはさっさと手をつけ、考える必要があってその代わりに完成すれば充実感を得られる仕事ほど遅い時間にのろのろと取り掛かる。「じっくり考えるべき仕事や物事の判断は、午前中の頭がスッキリしている時間に!」なんて脳科学者なんかのインタビューを目にするたび、小さく後ろめたい。

自分にとって、始めるのが億劫なのに、やれば充実感を得られるものの代表が考えを書き出す作業で、中でもいちばん身近で日常的なものが日記だ。自分しか見ないアプリの日記はずっとメモ的につけているが、ここで言う日記は公開する前提で書くもののほうを指している。書いている最中に心がシンとなるのがまずいいし、公開後の誰かからの思いがけない反応にも副産物的な喜びがある。だから、日記は書いた方がいい。それなのにこの半年以上のあいだ、自分の考えを書き出す作業をいちばん後回しにしていた。これはもはや、小さなセルフネグレクトである。

賃労働などにかまけて逃げ続ける自分についてこの数ヶ月延々考え、ぐるぐる考えるくらいならさっさと動けばいいのにそうは行かない性格で、だけどセルフケアを怠り続ける自分をどうにかしたい。こうなったら強制的に文章を書く仕組みを自分で作るしかない。

ということで11月の文学フリマに申し込んでみました、正確には明日までにお金を払って正式な申し込みとなるわけですが。とにかくこれで一旦締切ができ、一冊何かを作るためには文章の練習もしないとまずい。ということで、日記を再開します。