思ったようにはなる/2024年5月30日(木)

10年近く同じ部屋に住むと、とにかく物がたまる。「使わないけど捨てるには惜しい」と取っておいたものが、クローゼットを圧迫している。

まさかこの部屋に10年も住むとは思っていなかった。ここに移り住む前、わたしは当時付き合っていた人と住んでいた。その人との関係がどうしようもなくなって、ろくに話し合いもしないまま部屋を出た。一緒に住むきっかけを作ったのはわたしなのに、関係を壊すきっかけを作ったのもわたしだ。最初から最後までわがままだった。とにかくあの頃、わたしはひとりになるしかなかった。

今いる地域や沿線にはずっと憧れがあった。不動産屋さんに入った時、キリンジの「エイリアンズ」が流れていて、だからきっといい部屋が見つかると思った。その予感は的中して、条件の合う部屋を探し当ててくれた。契約をし終えた日の晴れ晴れとした気分は今も覚えている。

10年のうちには、それなりにいろんなことがあった。引っ越してきた当時勤めていた会社をやめ、別の会社に入ってまたやめて×2社を経て、ほぼ無職、派遣、フリーランスと、仕事の形態をさまざま経験することになった。一緒に暮らしていた人とは引っ越し後一ヶ月くらいの時に別れ、また誰かと付き合ったり、付き合わないけど会うようになったり、そういうのを経て、今はひとりでいる。

クローゼットの整理をしていたら、10年前以上の年賀状が出てきた。これもまた「使わないけど捨てるには惜しい」ものの一つである。当時勤めていた会社の同じ部署のおじさんたちからの年賀状もあれば、営業先だった書店さんからのものもあるし、今では没交渉だけどわたしのインスタストーリーを見てくれてはいるらしい高校や大学の友人たちの生まれたての赤ちゃんがプリントされた葉書なんかもたくさんあった。

この年賀状に、思いがけず気付かされた。わたしの周りに、こんなに人がいた時代があったのだ。翻って、今のわたしはひとりである。これは望んだことなのだ。

思い描いていたことは、だいたいその通りになる。しかしその通りになったとして、それが必ずしも幸せな状態かというとそれはまた別の話だ。叶った時にはそれを思い描いていた頃の自分とはすでにずれがあったりする。その時々に想像できることにはいつも限界がある。だけど、それがわかったらまた思い描き直せばいい。何度も想像し直して、自分が楽しく明るくいられるよう、調整を繰り返していけばいいのだ。

具体的な引っ越しの予定はないけれど、また自分がどこかに向かおうとしている気がするので、そういう時には考えを記録するのがいい。そう思って書いてみた。何を書くか決めてもなかったけど、いざやってみるとこういう文章になった。