やさしさもSEXも両方あっていい ~映画『この星は、私の星じゃない』をみて

わたしは性別が女で、いまのところ異性愛者だ。同性愛の人たちへの偏見が薄れつつあるとはいえ、数としては異性愛者のほうが多いだろう。(潜在的な話はひとまず除いて)マジョリティの側にいるにもかかわらず、わたしの傷つきの多くは、異性愛者であることが原因のように感じている。

 

その人が一見やさしく紳士的(という言葉そのものもかなりあやしい)にふるまう人だとしても、支配/被支配の気配や、見た目を中心とした査定の視線を、ささいなやりとりのなかに見つけてしまう。そして自分自身も、その査定の視線のなかでうまくふるまおうとしてしまう。架空の女性像に自分自身を寄せようとしてしまう。その構造のなかに入り込んでしまうと、お互いを記号としかとらえられないようなしんどさがあり、つい先日もそんなようなことで苦しい目に遭った。それは恋とはいえない何かだった。

 

昨年からフェミニズムにふれるようになり、世界がひっくりかえったようだったし、自分に根付いてしまった名誉男性的価値観に気付いて、その見直しをはじめた。フェミニズムの考え方は、それまでの多くの違和感の答えになったのだけど、自分のなかでどうしても消化しきれず残ったものが、恋愛だった。男の人への恋心や性欲自体、もしかしたらその差別の構造から生まれているような気がしたからだ。どうしてもそこに引け目を感じていて、その問題をクリアにしない限り、自分をフェミニストだと言えないと思っていた。

 

そんなもがきのさなかで『この星は、私の星じゃない』を観たのはめぐり合わせだったと思う。この映画は、1970年代のウーマン・リブ運動を先導した田中美津さんを4年間にわたって追ったドキュメンタリーだ。(こまかい説明は、公式サイトをぜひ!)

 

この映画の田中美津さんをみて気付いたのは、矛盾を無理やり解消することよりも、まるごと引き受けることが、自分の解放につながるのかもしれない、ということだった。矛盾を理論に照らし、無いことにしてしまうほうがよっぽど非人間的な態度だと思った。女であることも、「どちらか」を選ばなくていいんだ、と思った。

 

下記は、FRaUに掲載された、本作の監督・吉峯美和さんの記事からの引用。

 

そして田中さんは言う。「嫌な男にお尻を触られたくないというのは、運動の大義ですよね? でも私たちには、好きな男が触りたいと思うようなお尻がほしいという個人の欲望もあるんですよ。その両方があっていい、それこそが“ここにいる私”なんだというのがリブの新しさだった。私たちはやさしさとSEXの両方を持ち合わせた存在なのに、男が社会が、女たちを“母”と“便所”にひきさいて、結婚の相手に選ばれるために(モテるために)“どこにもいない女”を演じてしまう自分がいる……」

 

なんだよ!  わたしの感じていた引きさかれ、めっちゃむかしからあるやつなのか!! と叫びたくなった。わたしもやさしさとSEXを持ち合わせていたい。どちらも捨てたくない。ウーマン・リブって女らしさを消して男勝りになるというイメージだったけど、どこでそういう勘違いが生まれたんだろう。もしくはだれかが印象操作したんですか?  映画のあと、田中美津さんがいらっしゃったので、パンフレットにサインをいただいたんだけど、そのときも「ネイルがすてきね。今日の服に合ってるわ」とほめてくださった。照れくさかったけどうれしかった。

 

映画からの引用がむずかしいので、さらに記事から引用させていただく。(ってこの部分はさらに本からの引用だけど)

 

男にとって女とは母性のやさしさ=母か、性欲処理機=便所か、という二つのイメージに分かれる存在としてある。男の母か、便所かという意識は、現実には結婚の対象か遊びの対象か、という風に表われる……遊びの対象に見られようと、結婚の対象に見られ選ばれようと、その根は一つなのだ。(新版『いのちの女たちへ とり乱しウーマン・リブ論』パンドラ刊より)

 

これも「そ、それだ…!!!」と叫びたい。そう、このひとつの根っこによる見方に傷ついていたんだ………田中美津さん、気付きをありがとうございます。この構造からすぐに抜け出すことができるとは思わないけど、そう明言されただけで気持ちが楽になるようだ。

 

ところで、映画のなかの田中美津さんは、肩の力が抜けていた。過去の子育てへの葛藤をちらつかせたり、マンツーマンで説法(のようなもの?)を受けながら居眠りしたり、めちゃくちゃ人間っぽかった。思想にこりかたまっておらず、生きた人間の姿をしていた。『かけがえのない、大したことのない私』というのは田中さんの著書のタイトルだけど、まさにそんな感じだった。

 

2019年に生きる35歳のわたしは、好きな男の人に触りたいし触られたいし、もっとエロいこともしてみたいし、仕事も自分にあった仕方をみつけたいし、あとはなにより自分の思うことをちゃんと言ったり、表現できるようになりたい。きちんとした思想には遠い生き方であっても、自分の欲求をないことにしたくない。矛盾を抱えながら、悩みながらやっていくなかで、田中美津さんのような人がいると知って力がわく。そしていつか、自分のことを「かけがえのない、大したことのない私」だと言える日をむかえたい。

 

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