2020年11月29日(日)/俺の値段は俺が決める
布団のなかで、昨晩の踊り場を聞いて、そのあとゴッドタンを観るのが日曜のルーティン。ゴッドタンのマジ歌ルーキーで、ヒコロヒーさんが出待ちのおじさんについて歌っていた。出待ちして勝手にアドバイスして付きまとうおじさん。どの業界であっても、女性が表立って何かやってる限り、こういう男性がつくものらしい。自分は目立つ活動をしていないので、そんな目にはあまり遭わないはずなのに、なんで思い当たるような気がするんだろうと思って考えてみたら、やっぱりいくつかある。
ちょっと角度のちがう話だけど、以前ささやかなZINEを作って売ったとき、あとになって値段について文句を言ってきた人がいた。まあそれも中年男性だ。その話を友人にしたところ、自分ごとかのように怒ってくれた。あまりに怒るので、私まで怒られている気持ちになった。なぜ彼がそんなに怒ったかと言うと、どんなものであれ値段を決める権利は作り手にあるのであって、そんなことに文句を言う奴はあなたの客ではない、おもねる必要はまったくない、と。値段に嫌味を言われて傷ついたけど(ちなみに値段が500円っていうのがいろいろウケる)、友人の言葉がきつい薬のように効いて、確かにその通りだと思うようになった。
ヒコロヒーがこう言うように、聞いてもないのに文句や要らないアドバイスしてくる人たちに媚びる必要はまったくない。そう心を強く持っていきたい。これはまあ、中年男性に限らず、老若男女に対して。
流れで、『チャンスの時間』でやってた「ヒコロヒーが教える女芸人の苦悩」と言う、しくじり先生みたいなつくりの回も見た。こっちでは、出待ちおじさんに限らない、女性芸人に降りかかる苦難について話していて、最終的には、男女を問わず、純粋におもしろさで勝負させろ、という話で、でもお笑いってそもそも社会通念に立脚してるものだから、とも思ったんだけど、なんかこの辺うまく説明しきれなくてずっと考えてる。もしも、おもしろさでその常識自体を突き破れればむちゃくちゃ爽快なんだけど。
女芸人というもののあり方がいろんなところで言われてる気がして、自分もついそういうことを考えてしまう。男女コンビ蛙亭の岩倉さんは、女性としての立ち位置を絶妙に利用したネタをやってておもしろいんだけど、なんかのトークで、なんで男性と組んでるか聞かれたときに、「女は基本つまらないから」と答えているのを見てなぜか心が冷えてしまった。Aマッソの加納さんも、女芸人の難しさについてよく話しているらしいんだけど、ネタ自体にまだあまりピンときていなくて、ちゃんと読んだことがない。
ネタのおもしろさだけでなく、「女性」であることへの距離の取り方まで勝手に加点項目に入れていて、あーだこーだ言ってる自分自身も女性芸人に寛容じゃない視線を持っているような気がして、二重三重にしんどい。だからやっぱり、純粋におもしろさで判断するように、せめて自分から心がけていきたいのだけど。