2020年11月5日(木)/わたしの自由を奪って

やむを得ず早起き。6時台。早起きの前日は憂鬱さしかないけど、いざ起きてしまえば朝特有の空気の気持ちよさにスッとなる。腰の重いこと、やりたくないことほど、やってみると気分が良くなったりする。ジョギングとかもそう。

 

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もうどうしようもないけれど、しかし気になってしまうことがあって、店番の予定がなかったらいつまでも一人で堂々巡りしていただろう。自分の性格として、わざわざ自分で傷をえぐりに行くようなところがある。だから店番の日でよかった。お客さんが来れば、傷えぐりしてる場合ではなくなる。

 

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映画も芸術祭も展示も本も、気になるものが溜まっているけど、来週ある演劇のチケットを予約した。演劇は、その時を逃すともう観られない。公演期間も、私が観たい劇団のものはだいたい短い。だから優先度が高くなる。

 

集中力がないので、Amazonとかで映画を観ようとしてもなかなか最後まで観通せない。その点劇場に行けば、始まってしまうと自由を奪われて、観る以外は考えるくらいしかできない。その不自由さがいい。映画もその点では一緒だけど、演じる人が実際にその場にいる緊張感もあり、不自由度が高くてよい。

 

そう考えると、本の自由さはすごい。いつ読み始めてもいいし、いつ読むのをやめてもいい。好きな時に、好きなように読める。しかしその自由さに負けて、最近読む量が落ちている。早起きやジョギング同様、読めば楽しいのに。

 

ナチュラルボーン本読みの人たちと自分とで全然ちがうなと思う点はここ。ナチュラルボーンの人たちは、状況がどうであれ読みたいというモチベーションだけで本をたくさん読む。その辺が、自分が自信を持って「本が好き」と言えない理由かも。正直言って、好きだけどめんどい。

 

細かいことを忘れてしまったけど、前に誰かが、同じ時間にファミレスに集まって、お互いに持ってきた本をただ読む。という会をしていた。本の自由さは本の素晴らしいところだけど、ちょっと制限をつけて、読む量を増やしたい。読書会とかもいいのかもなぁ。