2021年1月4日(月)/人格者の理想的な比率は

今日から仕事。つくづく思ってることだけど、記事を作る仕事で、その上、社内の会話はほぼslackで交わされるのに、なんで出社の決まりがあるんだろう。普段あまり行かない、馴染まない空気が流れる土地です。唯一のいい点は、会社の横のコンビニの店長が、岡部たかしさん味のある、いい枯れかたをしていることです。

 

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昨日の帰り道に、中野のアザミが去年で閉店したことを知った。去年何度か前を通ったときも繁盛していた記憶しかないので、びっくりした。アザミは中野で知ってるお店のなかでも頭ひとつ抜けて美味しいお店だった。一応喫茶店を名乗ってるけど、出てくる料理やデザートは本格的なレストランで出されるような、繊細な代物で。

 

しかし、しょっちゅう足を運んでいたかというとそうでもなくて、中野でどこかに入る時はだいたい、松屋とかのサッと食べるお店か、ご飯を食べたあとにそのまま作業ができるお店なので、アザミのような純粋に美味しいものを味わうためのお店には、たまにしか行かなかった。

 

足を頻繁に運ばなかった理由は他にもある。たまに厨房から不機嫌な声が漏れてきて、リラックスできなかったのだ。それを思い出して調べてみたら、過去にバイトをしていた人のツイートが見つかって、学歴や人種で人を判断するような発言をしていたこと、労務管理が甘かったことが指摘されていた。

 

このお店の閉店理由はわからない。きっとウイルスの影響もあるだろう。だから上に書いたような店主の倫理観のせいだとか、そういうことは直接にはなんの原因でもないだろう。だけど、世の中全般的な話として、たしかな技術があっても、倫理観がまずいと、やっていくのがむずかしい世の中になっていくような気もしている。SDGsとかやたらに言われてるし。それは自分を含めた消費者や労働者にとってたしかに良いことなんだと思うけど、みんながフラットで、それぞれの人格の歪みが矯正されたような社会が訪れたら、それはかなり息苦しいものだろう。

 

しかししかし、怒りんぼうで労務管理がズルズルの会社で働きたいかと言ったらそれはごめんなわけで。でもでも、技術に惚れ込んで、どうしても技を盗みたいか、と我慢できる人もいるのかな。わたしは無理。自分は近寄りたくないけど、腕のある非人格者が生き残れる雑多な社会であってほしいと願うのは、なかなか自分勝手なのかも。