しあわせな村人だったときのこと

昨日、近くで用事があったので中野駅で乗った電車を御茶ノ水駅で降りた。ここにはわたしが9年間勤めた会社がある。辞めたのは2年前のことで、退社してすぐのころは御茶ノ水駅で降りるどころか、通り過ぎることすらなるべく避けていた。いまでも、何も思わないことはないんだけど、だいぶ波立たないようになったと思う。

 

前もすこし書いたけど、「すぐに会社をやめる人」と思われるのがわたしには不本意らしく、そういうようなことを言われるたびに、「いやいや、最初の会社は9年勤めてたんでっ!」とやけにムキになって反論してきた。だけどそろそろ「別にいいか」と思いつつある。なぜかというと、自分が自分の変化を受け入れたくないだけなのかも、と思い至ったからだ。

 

9年間の会社員生活を思い出すとき、「しあわせな村人時代」ということばが浮かぶ。離れてみて気付くことだけど、あの大きな会社は村のようだった。一度用があってビルに足を踏み入れることがあって、そのとき感じた空気はやっぱり村だった。

 

「しあわせな」と頭につけるのには、たとえば大人になってからの夏がどんなに楽しくても、子どものころ親に守られながら過ごした夏のきらめきをどこか超えられないような、というか子どものころの夏がどういうわけか脳内で理想化されてしまっているのと一緒で、たぶん実際のそのころのわたし自身は、それなりにいやだなとかムカつくなとか感じながら日々暮らしていたんだろうと思う。(実際に、入社3~4年目以降は飲み会のあとよく吐いてましたし)

 

それを念頭に置きつつ、あえてのどかだったときのことを書くと、最初に配属された部署にはリアルにネクタイを頭に巻いてはしゃぐおじさんがいたし(2008年のことです)、仕事帰りは週に4回くらい会社近くの中華なり居酒屋なりでごはんをごちそうになっていたし、仕事で助けてほしい人たちに飴を配ったりして日ごろから関係性を築こうとしていたり、とほぼ仕事そのもの以外のことばかりが浮かぶ。というか、みんな口にはしなくても実際、人間関係がすべて、みたいなところだったのでそうなるわけなんだけど。

 

好きな本、音楽や演劇の話をする相手はいなかったけど(ちなみに本の会社なんですけどね)、それはまあそんなもんか、くらいに思っていた。当時は会社の外にもそういう友だちは少なくて、そう考えると、一緒に演劇やライブに行く友だち、本の話をする友だちがいる現在ってめちゃくちゃ恵まれていると思うし、何に対してかはわからないけど畏れ多いような、いたたまれないような気持ちにすらなってくる。いや、でも、そういうことに、自分の望む環境が手に入っていることに対してびびっちゃいけないとも思う。ほしいものが手に入ることにびびってはいけないのだ。

 

最初の会社にいられなくなってしまった理由はまあいろいろあるんだけど、直近勤めていた会社が出していたいくつかの本で「フェミニズム」について改めて触れる機会があり、あらゆる苦しさの原因を知ったかのようだった。と同時に、自分がいかに男性的な価値観に染まりきっていたかに気付き、それはそれで別の苦しさもあった。適応しなければあの中でやっていけなかったとはいえ、あきらかにミソジニー女性嫌悪)的な考え方をしていた自分のことを思うとけっこう辛いものがある。この意味からも、いまはそのときに比べるとフラットになっている…と自分では思ってるけど、どうなんだろう…なんかこう、言い切れないものがあるな。いつも、時間が経ってみないとわからないことだらけ。まあ、ほんと、あのころは自分の弱さを認めたらすぐに崩れ落ちそうなモロさの中で虚勢をはっていたわけです。そのころに比べたらいまはだいぶラク

 

なんかまとまりがなくなってきた。がんばってまとめてみると、村人時代のしあわせな記憶は別に捨てる必要もないんだけど、いろいろと変わった今の自分を自分で否定することもないなと思うし、むしろあのころほしかったものがはからずも手に入っていることは、怖がらずに受け入れていきたいと思う。その生き方がたとえ、社会一般や大きな流れから外れつつあるとしても、そういうことをひっくるめて、自分というものを受け入れられるようになっていきたい。いつか、いまのことをふり返るために、あんまりまとまっていない気持ちでも書き留めておきたい。