2020年10月15日(木)/鐘を鳴らすのは

ゴールデン街で働いてみたいと思った理由はいくつかある。そのうちの一つは、直接やりとりして約束するほどには仲が深まっていない人や、こちらからお誘いするには気のひける人がふらりと会いに来てくれる場があったら夢のようだと思ったからである。そういう意味で、今日はとてもうれしい夜だった。2組もそんな来客があった。

 

年齢のことを自虐的に表現することをなるべく控えてはいるが、とは言え“一般社会”に照らしたときの自分というのは、なかなかトウが立っている。トウが立つとどうなるかというと、他人が自分に踏み込んだことを言わなくなってくる。それは仕事についてもそうだし、それ以外のことについても。

 

それは一方では求めていた「自由」ってものに近い気もするけれど、実はそれだけじゃ物足りなくて、自分の歩みを次の段階に進めるためには、誰かの踏み込んだ言葉が必要だったりもする。

 

振り返ってみると絶妙なタイミングでそういう言葉をくれる人がいて、久々にその方がお店に来てくれた。近くで仕事があったそうなので、わざわざ私に会いに来たわけでもないのかもしれないけれど、しかしながら、自分が今抱えている恐れや不安、元来の気の弱さを見抜いて、ハッパをかけてくれた。

 

まだ書いていないけれど、帰省中にもそういう出来事があった。「生きづらい」とか「自己肯定感が低い」という言葉に共感したことがあまりない。自分の場合はもう一歩進んで「積極的に自分を疑ってかかっている」に近い。

 

だけど、生きる道をつくっていくうえで、自分が自分をどう思うかでしかないという気がしている。進みたい道があるのならば、慣れ親しんだ悪癖をそろそろ手放すときなのだ。

 

後進に踏み込んだ助言をするのは億劫なはずだけど、その役目を自ら請け負い行動する姿に頭が下がる。その方を見送った後しばらくして、またしてもうれしすぎる来客。毎日文章を読んだり、ボイスチャットを聞いたりして、いつかちゃんとお会いしてみたいなぁ、でも緊張するなぁ、と思っていた方が、お友だちと一緒にぴょこっと来てくれた。

 

話したいことやら、聞きたいことやら、伝えたいことやら、いつも色々頭の中にあったはずなのに、いざとなると「いつもメルマガ楽しみにしてます」くらいしか出ない。もう少しふかふかの褒めの布団を敷きたかった。でも、うまいこと言って相手を喜ばせたい、みたいなのもヤラシイといえばヤラシイような、加減がむずいものでもある。

 

そんななかで、話の流れで前から聞いてみたかったことを質問してみたら微妙にケムに巻かれたりして、それがまた妙にうれしかった。こちらが何かを聞いた時に、すぐにはちゃんと答えない、でも気づいたら答えがそこにあった、みたいなコミュニケーションをしてくれる人たちがたぶん好きなんだと思う。

 

店を閉めてからもうれしさを持て余していたので、たまに行く居心地のよいバーに寄って、蜂蜜味のウイスキーで体をぽかぽかにして帰った。