2020年12月18日(金)/熱めのお茶を飲み、意味シンなシャワーで
TVODの対談を読んだ。
live.millionyearsbookstore.com
※この記事は12/26夕方に公開終了予定
まず、『バズをあきらめて』ってタイトルがいいですよね。岩陰にまぼろしが見えりゃ〜虹が出る〜。
ここでパンスさんが言ってること、そうだな〜な箇所が多い。ブログを毎日書いてる理由は、特に近そう。
書くことっていうのが周りの目を気にすることに近づいちゃう状態から出来るだけ脱したい
いつの間にか「狙って書く」というのがスタンダードになってしまったのがわりと不思議
ちょっと極端なこと言うと、特定層にリーチしまくる行為を追求し続けた果てがオンライン・サロン的な文化でもあると思ってる
あと、コメカさんの言う、
ユーザー自身の自意識としては「書いている」つもりでも、実際はwebサービスに「書かされている」という構図は実際ある
っていうのも。noteはまさにその典型で、あの場所で書こうとするとどうしてもnote文体にはまってしまいそうだったのが理由でずっと避けてきた。役に立つこと、泣けること、エモいことなんか、書きたくないんだから。
あと、パンスさんがこっちに書いているように、
1つ1つのツイートを丹精込めて作り、「行けー!」と念じながら投下していたが、それらがバズったりすることはほぼなかった
って感じも、わかるなーと思ったんだけど、一方で稀にバズとまでは行かなくても、思っていたよりも反応が多いことはたまにあって、しかしそれはそれで「なんだよこのアイコンなしアカウントは」とか「こっちの言ってる意味わかって反応してんのかよ」とか「このアカウント、他人のRTばっかしてて、お前自身の言いたいことはないのかよ」とか、結局うれしさよりもイラつきやむなしさの方がデカくなっちゃうのだった。
なんてことを思うのと、自分より上の世代を見ていると、そのWebサービスに流れている空気なんて全然無視して書きたいこと書いている人も割といる。うらやましい。
前にコメカさんとちらっとそんな話になったけど、そもそも自分たちの世代(30代後半)は、上や下の世代に比べて、環境というか、他人の思惑を意識して、その意図を汲もうとしすぎな気もする。ざっくりとした言いかたではあるけど、これにはなにかしら社会的な要因が働いている気がしてならない。
それとも今後、単に歳を重ねることで適度に図太さを獲得し、Webサービス運営側の思惑なんぞなんら気にせず、言いたいことを言いたいように言えるようになっていくんだろうか。