2021年2月16日(火)/好き嫌いで決めちゃだめですか

地上から20cmくらい浮いて、そのまますいーっと移動する夢をみた。移動してる場所はRISINGSUNの会場内。実家から会場は車で15分の距離なんだけど、夢のなかではさらに近くて徒歩15分の設定だった。移動が楽で、家もすぐ近くならまたフェスに行きたい。その仮定より何より、そもそも開催されるのかって話なんだけど。

 

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小木さんが叩かれているらしいけど、あんまり追う気がしない。

 

自分のなかにはたくさんの矛盾がある。岡村さんがまずい発言をしたとき、やべえこと言ってんなと思ってはいたけど、深夜ラジオ特有の空気というのはやっぱりあるので、普段聞いてない人がやんややんや言うことに違和感がないわけでもなかった。それでもやっぱりどちらかと言えば叩く側の気分だったのは、岡村さんをそこまで好きなわけではないからだと思う。一方小木さんのことはけっこう好きなので、擁護に寄っているどころか、話の経緯を追う気にもなれない。みんなが叩きまくる西野だって、してることがやばいってのもあるけど、やっぱり根本的にあの器用さが気に食わないからなんじゃないかと思うし。

 

空気階段がいま以上に売れたとき、過去のラジオやコントをやんややんやいう人が出てくるかもしれない。そのときはきっと心のなかで空気階段を擁護するだろう。だけどわざわざSNSで戦うかというと、多分そういうこともしなさそう。反撃されるのこわいから。誰かが叩きに叩きまくったあと、ちょっとずつ擁護する意見が出てきたあたりを見計らってそうだそうだと言うくらいの勇気しかない。

 

自分はジェンダーの問題を自分ごととして考えているけど、自分の好みを捨ててまで活動に邁進するつもりはない。少なくともいまのところは。自分の好き嫌いを捨てて、理念に忠実になれる原理主義な人しかジェンダーを語る資格がないかというと、そうではないと信じたい。でたらめなまま、自分の幸せを優先しながら、社会のことを考えたい。虫がよすぎるのだろうか。

 

たまにTwitterとかで、「普段は政治のことをつぶやかないですが、と言い訳をつける人が気に食わない。自分はずっとその役割を担ってるのに」みたいなことを言う人がいる。現代の女性たちは、過去の女性たちが戦った結果に得た権利を行使していることを理解せよ、みたいな言い分に私は黙るしかなくなってしまう。わたしがもし運動に目覚めたとしても、下の世代の人たちにそういう物言いをしないようにしたいと思ってしまう。なんならこうやって書くだけでも、誰かに怒られそうと言うおびえがある。フェミニズムについては、素直に思ったことを言いにくい。自分のなかの矛盾を吐露しにくい。それこそをなんとかしたい。

 

クラブハウスで22時から「深夜ラジオとフェミニズム〜小木さんを救いたい〜」というトークがあるらしいので聞いてみようと思う。おもしろかったら明日そのことを書きたいけど、あんまり詳しく書いたらルール違反なんだっけ。