2020年12月26日(土)/幸せでいる義務

電車の車内。向かいに座ったカップルの男性が「社会が豊かだからこの仕事ができてる」と彼女に言い、「でも必要だと思う。コロナで大変でも」と彼女が答えていて、なんの仕事だかわからないまま鶴瀬駅に着いた。

 

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akakilike『眠るのがもったいないくらいに楽しいことをたくさん持って、夏の海がキラキラ輝くように、緑の庭に光あふれるように、永遠に続く気が狂いそうな晴天のように』を観に、埼玉の富士見市民文化会館キラリ☆ふじみへ。

 

京都のダルクで生活している人たちとダンサーの人が出てくる、ってレベルしか知ってることがなかったんだけど、友だちと、とある俳優さんが昨年観た演劇のトップ3の一つに挙げてた公演の再演だったので、その友だちと一緒に観に行った。

 

この作品の内容について書くことは、いろんな意味でむずかしい。薬物依存を治療する当事者が、自分の実際の体験や思いを語る。その具体的な内容はきっと、あの空間だけにとどめておいたほうがいい。生々しい話も出てくるけど、そこに悲壮感や痛々しさはあまりなく、いわゆる「お涙頂戴」にもなっていない。

 

このあたりは演出の匙加減ひとつでもあるだろうけど、そもそものこの公演の成り立ちにも関わっているのかもしれない。どんなやりとりを経て、薬物治療施設の生活がこの作品になったのか、その背景が気になる。映画の『プリズン・サークル』の「TC(Therapeutic Community=回復共同体)」のことも思い出した。

 

彼らの語りの後ろでは、みんなが役割分担をしながらご飯を作っている。醤油やみりんのいい香りが客席にまで漂ってくる。最後は、みんなで作った料理を、みんなで食べていた。人と話しながら、協力しながらご飯を作って一緒に食べる。ただそれだけの営みに、人の生きるうえで不可欠なものを見せつけられた思いだった。