2021年1月2日(土)/自分に置き換えて考えるなんて

2年ぶり2度めの新春高尾山。メンバーは前回と同じ、李さんと岡藤さん。いつも家で絵を描く仕事をしている2人を、「たまには自然に触れましょう!」とかなんとか誘い出したのが2年前のこと。自分だってマメに自然に触れているわけじゃないのに、アウトドア派代表みたいな口ぶりで誘ったのはなんだったんだっけ。

 

岡藤さんという人は、ものの見方や価値観というか、ひとつの結論にいたるまでのプロセスが少なくとも自分とはちがう。李さんともちがう。なので、会うと2人がかりで質問攻めにしてしまう。浮かびつづける「?」を追っていたら、割りにすんなり山頂までたどり着いた。

 

高尾山の山頂からは、富士山が見える。前回、岡藤さんが「印税生活〜1万5千部〜」と新年の願いを、周囲の目も気にせず富士山に向かってひとり叫んだ。岡藤さんの思い切りの良さ、部数のリアルさに感嘆した。比べると引っ込み思案な李さんとわたしは、山小屋でそばを食べながら「パッとする」「人に心を開く」という、岡藤さんに比べて抽象的な目標をそれぞれ言い合った。

 

ちなみに、わたしの「人に心を開く」という目標は、この年に起きたもろもろを経て、少しは達成された。とはいえいまも継続中の課題で、いまは「誰に」向かって心を開くのか、ということを考えている。

 

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下山して、新宿でお茶して、帰宅して、「マヂカルラブリーno寄席」観て、かなり眠かったけど、逃げ恥スペシャルをリアタイで。

 

現在のジェンダーにまつわる課題、夫婦の家事シェア(夫は「協力」する立場?とか)、同性愛、弱さを見せられない男性性、などなどてんこ盛りなのに、ガッキーの可愛さとかテンポの良さのおかげで、過度に説教くさくならないのがすごいなーと思った。何しろ、こんなに大勢の人がみる大人気ドラマで、こういうイシューを取り上げる気概よ。ドラマ内にいわゆる旧体制の考えの人が出てくるのもいい。浮世離れしていない。しかし、それでも「説教くさい」という意見もTLに上がっていた。

 

あと、「引け目を感じた」というようなことを言っている人もけっこういた。ここにむずかしさを感じる。これはわたしが大袈裟に感じてしまっただけかもしれないけど、「子どもを持っている=恵まれている=叩いていい」みたいに考えている人も一定数いるのかも。そんなふうに、日本全体を、立場のちがう人たちをいがみ合う、ギスギスした空気がただよってように感じる。

 

ドラマのなかでは、みくりさんも平匡さんも、悩んで、困っている。社会的に見てうらやましがられる立場であっても、悩みがなくなるわけではない。立場がちがう人のことを、可能な限りフラットに想像したいし、創作物というのはそういうことのひとつの手立てになると思う。だけど、その手前で心を閉ざしてしまうと何も入ってこない。

 

そんなことを思う自分には、子どもがいない。そして、このまま子どもを産まない可能性が高い。逃げ恥を見て、罪悪感や疎外感を抱かないのはむしろ、自分が自分の問題に真面目に向き合ってないからなのだろうか。

 

それにしても大きな人気を集める「コンテンツ」は、語れる切り口が多い。