2021年2月22日(月)/豚の餌でもうまければ

ダイエットについて調べ始めると、多くの人たちがオートミールを食べているのを早々に知るわけですが、どうみてもうまくなさそうなので検討するまでもなく圏外扱いしていました。が、先週金曜献血後に寄ったベローチェで、隣の席にいた女性がオートミールの話をしているのを聞いて、なぜだか急にイケるかもと考えが変わりました。帰りにまいばすけっとのシリアルコーナーの隅っこに並んでいたオートミールを1袋買い、顆粒だしとふりかけとお湯をかけて食べてみたらふつーにお茶づけじゃないか!もう白飯いりません、わたしオートミール食べるんで!とたちまちハマってしまいました、が、こんなふうにハマるってことは飽きるのも早い予感。オートミール生活今日で4日め、いまのところは飽きておらず、いろんな食べかたを楽しんでいます。ちりめんじゃことかたまごとか乗せてからちょっとお出しをかけて食べれば、もうずっとこれでいい気がしてくる。思うに、オートミールって名前の響きが美味しくなさそうなんで、もういっそ雑穀米と名乗って、もっとメジャー路線に乗ってほしい。

 

それにしても、今晩のわたしの買い物、オートミール、ヨーグルト2パック、バナナ、オリゴ糖、わかめとオクラのサラダって、意識高すぎて腸活偏差値65。美味しいもの食べたい欲よりも胃腸を整えたい欲が上回って、結果めちゃくちゃナチュラル嗜好みたいになっちゃう。でも、普通のご飯を食べるとそれだけでお腹ポコポコして不調になるのだから仕方ない。っていうか、この歳でこの胃腸って大丈夫なのか。あと数十年同じ胃腸でやっていけるのか。食べ物に飽き足らず、イージーファイバーみたいなやつまで飲み始めてる。そんくらい頑張ってようやく口のなかがムカムカしないって感じなんで、ほんと大丈夫なんか。

 

しかし、まだマイナスがゼロに近づく兆しが見えたくらいでしかなく先は長い。そのうえ日々老いている。それなのにちょっと改善されたら飽きてしまいそうで、それがだめなのよね〜。腸活とかいうと一時的な活動感があるし、腸にいいものをばっかり食べしてればいいような気もするけどそんなことでもなく、どうやら全般的な生活習慣を整えるということでもあるようので、ひたすら地道なことでしかない。言ってみたらつまんない。でもそのつまんなさに耐えて、とりあえずあごまわりの吹き出物をなくしたいしお腹もぺったんこにしたい。見た目をマシにしたい欲が食への欲や不規則な生活をしたい欲を上回りつづけるといいのだが、これはもうホコタテってやつ!

 

2021年2月20日(土)/献血したらやさしくしてくれた

なんか忙しい。仕事というよりテレビや配信を見るのに忙しい。TVerで配信されないお笑い番組、終了日の迫った配信、リアタイしたいドラマなどなど。自分は咀嚼するのに時間がかかるので、詰めてあれこれみるのが苦手。だから最近はおもしろいものが多くてうれしい反面、あぷあぷしてもいる。

 

そんなわけで余裕がなく、いつもはタブレットで書いているこの日記も、いまはふとんのなかでiPhoneから打っている。

 

昨日、6年ぶりに献血をした。1年越しの願い。去年の春先にみた舞台で、献血をすると性欲が減るという、うそだかほんとだかわからない話が出てきたのがきっかけで、その日にその足で新宿の献血センターに向かったのだけど、混んでいて2時間待ちだったのであきらめた。その後もコロナが気がかりだったり、時間がなかったりして出来ずじまいのままだった。昨日は15時すぎに取材が終わって、もう何もしたくないけどそのまま家に帰るのも早いし、という気分になり、そこにピタッと献血がハマった。今日は体調もいい。

 

いっときは献血センターが入るビルの周りに大きな看板が出ていたりスタッフが献血を呼びかけていたりしているほど血が足りなかったみたいだけど、今日は看板すら出てなくて静か。予約せずにそのまま行ったら、それほど待たずにできるというので、400ml抜いてもらうことにした。

 

献血センターの時間の流れ方は独特で、スタッフもまったりとやさしくて、居心地がよかった。検査のために血を抜いてくれる看護婦さん、話しかけてよさそうな隙があったので、いまはもう血が足りているのか聞いてみたら、やっぱり東京は血が足りているそう。その代わりに地方は集まっていないので、東京から地方に血を送っているらしい。

 

夕方のニュースを見ながら15分くらいかけて400mlを抜き、立ち上がったらほんの少しだけ立ちくらみがした。それを伝えたら、看護婦さん2人がかりで座るよう促してくれたり、ぬるいレモンジュースとおせんべいを持ってきてくれて、血をあげただけでこんなにやさしくしてくれるんですか。ずっとここでお菓子食べていたい。

 

献血したあとは早く動いてはいけないので、みんなお茶を飲んだりお菓子を食べたりしてゆったりしてるのもよかった。一般社会から切り離された空間。

 

性欲が減ったかどうかはわからないけど、献血センターのやさしい空間に癒されはした。またきたい。次にきたら、ひとりひとりに渡されるブザーの呼び出し音がなんで「名もなき詩」なのか聞きたい。

2021年2月17日(水)/遅延型アレルギー

最近よくリンゴを食べる。10年近くアレルギーで避けていたのに、去年なんとなくいける気がして食べてみたら、喉が詰まる感じも目が痒くなる感じもなかったので、仕組みはわからないけど治ったのだと思っている。しばらく食べていなかった分、うれしくてつい食べてしまう。特にこの数週間は1日一個食べているし、今日は帰りにジューススタンドでアップルティーを買って飲んだ。

 

駅のホームでごろごろと実の入った美味しいアップルティーを飲みながら、調子に乗ってたくさん食べたり飲んだりしていたらまた発症したりして、と思った。そんな矢先、こんなツイートが目に入った。

坂井さんが書いているように、これまで自覚してきたアレルギーは、食べた直後に症状が出ていたからすぐわかったけど、遅延型アレルギーの場合しばらく経たないと症状が出ない上、一般にいうアレルギー症状ともちがうみたい。知らなかった。 

 

あと、寝ているときに息ができなくて目が覚めるけど睡眠時無呼吸症候群ではないと診断されていて、食物アレルギー陽性だった食べ物をやめたらそれも改善されたというところ。わたしは睡眠時無呼吸症候群の検査をしていないのでわからないけど、寝ているときにいきなり息苦しくて目が覚めることはたまにある。

 

そんなわけでアレルギー血液検査に興味津々。と言いつつ健康系の話をTwitterで鵜呑みにしていいのかなと思ってたらリプライにやっぱそんな指摘がついてるな。だよな。しかしこの手の話に魅了されてしまうのは心身の不調の理由を突き止められたら、人生が好転するのでは、という期待を捨てられないわたしの弱さよ。 

2021年2月16日(火)/好き嫌いで決めちゃだめですか

地上から20cmくらい浮いて、そのまますいーっと移動する夢をみた。移動してる場所はRISINGSUNの会場内。実家から会場は車で15分の距離なんだけど、夢のなかではさらに近くて徒歩15分の設定だった。移動が楽で、家もすぐ近くならまたフェスに行きたい。その仮定より何より、そもそも開催されるのかって話なんだけど。

 

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小木さんが叩かれているらしいけど、あんまり追う気がしない。

 

自分のなかにはたくさんの矛盾がある。岡村さんがまずい発言をしたとき、やべえこと言ってんなと思ってはいたけど、深夜ラジオ特有の空気というのはやっぱりあるので、普段聞いてない人がやんややんや言うことに違和感がないわけでもなかった。それでもやっぱりどちらかと言えば叩く側の気分だったのは、岡村さんをそこまで好きなわけではないからだと思う。一方小木さんのことはけっこう好きなので、擁護に寄っているどころか、話の経緯を追う気にもなれない。みんなが叩きまくる西野だって、してることがやばいってのもあるけど、やっぱり根本的にあの器用さが気に食わないからなんじゃないかと思うし。

 

空気階段がいま以上に売れたとき、過去のラジオやコントをやんややんやいう人が出てくるかもしれない。そのときはきっと心のなかで空気階段を擁護するだろう。だけどわざわざSNSで戦うかというと、多分そういうこともしなさそう。反撃されるのこわいから。誰かが叩きに叩きまくったあと、ちょっとずつ擁護する意見が出てきたあたりを見計らってそうだそうだと言うくらいの勇気しかない。

 

自分はジェンダーの問題を自分ごととして考えているけど、自分の好みを捨ててまで活動に邁進するつもりはない。少なくともいまのところは。自分の好き嫌いを捨てて、理念に忠実になれる原理主義な人しかジェンダーを語る資格がないかというと、そうではないと信じたい。でたらめなまま、自分の幸せを優先しながら、社会のことを考えたい。虫がよすぎるのだろうか。

 

たまにTwitterとかで、「普段は政治のことをつぶやかないですが、と言い訳をつける人が気に食わない。自分はずっとその役割を担ってるのに」みたいなことを言う人がいる。現代の女性たちは、過去の女性たちが戦った結果に得た権利を行使していることを理解せよ、みたいな言い分に私は黙るしかなくなってしまう。わたしがもし運動に目覚めたとしても、下の世代の人たちにそういう物言いをしないようにしたいと思ってしまう。なんならこうやって書くだけでも、誰かに怒られそうと言うおびえがある。フェミニズムについては、素直に思ったことを言いにくい。自分のなかの矛盾を吐露しにくい。それこそをなんとかしたい。

 

クラブハウスで22時から「深夜ラジオとフェミニズム〜小木さんを救いたい〜」というトークがあるらしいので聞いてみようと思う。おもしろかったら明日そのことを書きたいけど、あんまり詳しく書いたらルール違反なんだっけ。

2021年2月15日(月)/遅れてきたレイジアゲインストザ花束

日に日に『花束みたいな恋をした』へのムカつきが増していて、その理由はといえば、あの映画には社会通念で人をぶん殴るような価値観が横たわっているから。みた直後に激怒していた友だちを見習いたい。ネガティブな気分になった時に、まず自分の非を疑う癖がついている。それでどうなるかといえば、反射的に怒れなくなる。そうすると、肝心な時に身を守れないからよくない!

 

映画のせいで日記を書く気持ちが萎んでしまったのも、いま考えたらほんとくだらない。私が何をしても何をしなくても、文句や嫌味を言ったりする人はいない。だから自分にとってはあの映画こそが、イマジナリー「お節介な親戚」という感じ。たぶん自分の軸みたいなものがしっかりと根付いていたら、「お節介な親戚」がいくら何を言ってもスルーできるだろうが、沼地に刺さった棒っきれのように頼りない私の軸は、まんまと揺らいでしまったのだった。

 

この件はもうこれで最後にしたい。もうあの映画の話もあんまりしたくない。

 

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お酒なしでも人と仲良くなれるようになりたいとずっと思っていて、気づいたらいまそうなっていた。お酒を飲むこともあるけど、なくても平気。Twitterで自分の発言を検索してみたら、2015年からそんなことを書いていたので、6年経って達成できていた。

 

2015年は、仕事のプレッシャーが急激に高まってストレスのあまりテンションがずっと高く、歩く速度も異様に早かった。常に不安にさらされていたけれど、その分給料もよかった。お酒を飲まずして人と付き合えるようになったいま、週休3日くらいのまったりとした働き方をしていて、年収も随分と低い。どちらがいいと一概に言えるもんでもないけれど、とりあえず6年前の願いが叶っていることは事実。

 

なんだって外に出しておいた方が実現する可能性が高まる気がする。なので次のステップとして叶えたいのは、素面で人に自分の弱みをさらすこと。誰の前ででもというわけにはいかないけど、お酒を必須にせずに付き合える人たちには、もうちょっとずつ甘えていきたいものです。なぜ甘えられないかというと、もし受け入れられなかったり無視されたりした場合、自分を保てないからなんだけど、こう書いてみると、別に自分を保つ必要もないような気もしてきた。こうやって恐れていることを因数分解していくとよさそう。

 

そういえば、『セックス依存症になりました。』って漫画に、お酒を飲まないとセックスできないのは依存症の症状と書かれていて驚いた。セックスとかってこれもまた弱さをさらけ出すような行為ですよね。そういえば前に友だちに「酔ってるときの方がモテる気がする」と話したら「それは誰でもそう」と返されてがっかりした。素面でも弱さをダダ洩らして、もう仕方ないなぁと人に可愛がられたり、なんならバカにされても平気な感じで生きていられたら、それはもういっこの理想かもな。

 

映画『すばらしき世界』

以前、ある芸人がこうつぶやいていた。

児童相談所の人員不足や介入強化の整備に使われるなら消費税80%になってもいい。そして過剰なくらいの権力を持った鬼の部隊つくろうよ。 そこまでしないとゴミ虫共の虐待は無くならない。

これを見て血の気が引いた。賞賛を示すリプライばかりがぶら下がっていて、さらに苦しくなった。

 

自分には虐待するしない以前に子どもがいない。自分のことを言われたわけでもないのに辛くなったのは、こういう発想こそが社会から虐待がなくならない理由だと感じたからだ。「悪い」ことをするのは、自分のような「よい」人間とは異なる奴らだ。「悪い」人間は「ゴミ虫」なので、「よい」人間の社会を汚してはならない。だから罰して排除すべきだ、と。そういう考え方が、すでに追い詰められた人をさらに追い詰める。

 

このツイートを思い出したきっかけは、映画『すばらしき世界』である。

 

映画の主人公は、人生の多くを刑務所の中で過ごした男、三上正夫。人生で6度目、13年の刑期を終え、旭川刑務所を出るシーンから物語が始まる。三上はこれまで、唯一自分を受け入れたヤクザの世界に身を置き、仕事の名の下に犯罪に手を染めては、刑務所に逆戻りしていた。13年前の事件は、そのループから抜け出そうとした矢先の出来事だった。東京に向かう電車のなかで「今度こそカタギぞ」と意気込むが、行政の問題や周囲の偏見など、男の社会復帰を阻む壁がいくつも現れる。

 

しかし、三上にヤクザ以外の味方がまったくいないわけではない。 身許引受人の弁護士は、いかにもあたたかい。弁護士の奥さんは出所祝いにすき焼きを振る舞い、三上はその心遣いに涙を流す。生活保護申請の窓口にいる男も、免許センターの受付の女も、スーパーの店長も、偏見やルールでもって男を突き放す場面があるが、そこに収まり切らない人間の善意が滲む。

 

観客側には彼ら彼女らの善意は伝わるのだが、当の本人にはまったく伝わらず歯がゆい。三上は人の言動を悪いように解釈してはすぐに激昂し、進みかけていた物事も自らダメにしてしまう。三上を取材対象にしようとしていた作家志望の津乃田は、三上の暴力衝動には生育環境に原因があるのでは、と疑う。そして津乃田は、取材対象者として三上を「消費」する立場を超えて、彼の母を一緒に探そうと動き出すが……くらいであらすじは止めておく。

 

ところで最近、「性格」と呼ばれるものは環境によっていかようにも変化すると言うことをよく考える。かといって環境でもって他人のすべてを紋切り型に収めて判断することには慎重でいなければならない。マイルドなものだと「末っ子はわがまま」だとか、その手の偏見から、できるだけ自由でありたい。自由にはなれなくてもせめて意識的でありたい。

 

とはいえ、その人のバックグラウンドなしに、性格と呼ばれるものや、その人の振る舞いを切り取って良し悪しをジャッジしてよいものかとも思う。そもそも、他人をジャッジすることがおこがましいのだけど。

 

先の芸人のツイートに戻ると、虐待をするに至った人の背景にあるものを想像せず、その行動だけを切り取って「ゴム虫」扱いする思想とは、やっぱり相容れない。必要なのは虐待する人への罰ではなくケアだ。人とのつながりを断たないこと。ひとりで辛さを抱えたまま孤立しないこと。と言うことまではわかる。芸人を批判するだけではなく、自分をもう一歩先に進めるにはどうしたらいいのだろう。自分自身、困った人を避けて安全を確保しようとしている面がないわけがないのだ。社会のなかで安全の範囲が狭すぎるのが問題なのかもしれない。ではどうしたら。

 

技巧で多くの人を楽しませる作品もいいのだけど、自分は答えのない問いを探す作品により触れていたい。問いの立て方も、それを裏付ける役者さん達の演技も、演出も、年月をかけて練られた形跡を確かに感じ、物語の辛さとは裏腹に、愛のようなものをしっかりと受け取った。

2021年2月11日(木)/花束には根がない

先週の土曜に『花束みたいな恋をした』を観たダメージが大きくて、それがまわり回って日記の更新を滞らせていた。しかしそれもそれでどうなんだと思い始めた。ぼちぼち再開しようと思う。

 

ところで今日、この映画について「花束には根がない」と言ってる人の話を聞いた。なるほど。この映画について考えるといまだに嫌な胸騒ぎがする。だけど、人が観てどう感じたかには興味があるので、つい読んだり聞いたりしてしまう。

 

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今日は20時から腐り芸人セラピー有料配信とクセスゴ2時間SPだってもっと早くわかってたら、計画的に仕事を始めてたのに。知ったのは18時ごろで、結局家に着いたのは21時前。どっちを見るか一瞬迷って(どっちもあとで見ることができるので)腐り芸人の方を見始めたら、テレビ以上にマイルド、いやマイルドというか全体的に暗い。配信限定「ピー音なし」と言う触れ込みなのに、生配信だからと失言しないようにむしろ慎重になってるのか、漠然とした話ばっかりで具体名が上がらず、なんというか盛り上がっていなかった。

 

ネットで私たちがオープンとクローズドの場を使い分けして、クローズドな場所でより私的な話をするのとは訳がちがって、芸能人はどこにいっても芸能人。オープンとかクローズドとか関係なくいろんな人が見るから、暴露的なトークを売りにするのはたぶんちがうんだろうなとか思った。

 

クラブハウスも最初は芸能人たちのトークルームが目立っていたけど、井上公造がウロウロしてたり、話した内容が早速ネットニュースになってたとかなんとかで、いま現在はだいぶ減った。芸能人やスタッフの裏話は楽しい。でもそっちばかりがメインになるのはなんか妙。

 

2021年2月5日(金)/最新話みたいけど最終回みたくない

ゴールデン街のお店がお休みに入ってそろそろ1ヶ月経つ。店番していた日々が恋しい。常連のみなさんは元気にしてるだろうか。快適なオフィスやコワーキングスペースで、決して快適とは言えない、狭くて薄暗い店のことを考える。

 

去年の緊急事態宣言中にも感じたけれど、いざお店が閉まると、いかに店番の時間が大切だったかがわかる。お店でお酒を作っておしゃべりする時間がごそっとなくなると、暮らしはずいぶん無機質なものになってしまう。

 

前回は宣言が明けてもしばらくはお客さんが戻らなかった。秋が深まってようやく以前のにぎわいが戻ったものの、12月のなかばくらいからまた客足が鈍くなっていった。

 

お店の経営からするとまずいのだろうけど、来てくれた方からはそれ以前にはないくらいじっくりお話聞くことができて、それはそれで充実した時間だった。「へえ、ふくよかな女性がお好きなんですね」みたいな。今回はどうなるんだろう。

 

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第3話を観る前に、21時ごろから先週の第2話を観直したので、2時間通しで『俺の家の話』。今回は覆面レスラーに扮した長瀬のプロレスシーンがすごかった。吹き替えなしであんな跳躍ができるんですか! もう一回観てからちゃんと感想を書きたい、って先週も思ってたのに、結局1週間経ってしまってこの有様。今回も同じ轍を踏んでしまいそう。しかし、21時から前回ぶんを観て、そのまま最新話を観るのは結構いい。

 

それにしても最新話が毎回楽しみな一方、一歩一歩最終回に近づいているのが悲しい。一生最終回迎えないでほしい。なんとかならんか。

2021年2月4日(木)/なぜ君は総理大臣になれないのか

昨日映画を観られなかったのが悔しい。Yahoo映画で調べてみたら、ポレポレ東中野で『なぜ君は総理大臣になれないのか』が再上映されている。昨日は『花束みたいな恋をした』を観る気だったのに、森失言のあれこれを読んでいたら、政治映画の気分になってきた。

 

ところで最近小規模な映画館に行くと、アップリンクやユジクの件を思い出し、「ここは大丈夫なのかな」とよぎってしまう。ロマンさんの書いたこのコラム、数回読んだ。 

www.excite.co.jp

 

で、映画。総務省の官僚から政治家をこころざし、32歳で初出馬した小川淳也議員の17年間を追ったドキュメンタリー。2003年当初、監督はなにに発表するつもりもなく、興味が湧いたというだけで小川さんを追い始めたらしい。本当になににも発表するつもりもないのに撮り始めていたとすると、まずそのこと自体がすごい。利益を度外視して、自分の欲求のままに撮るという行為に、一種の憧憬のような気持ちが湧く。

 

そして、2003年から2020年に至る17年間のあいだ、小川さんの政治に対する姿勢が大きく変わらないことには驚かされた。初出馬の際、支援者の前で語りながら涙を流す姿を見ながら、なんというか、良くも悪くも純粋な方なんだなと感じたが、それ以降も数年おきに同じようなシーンがあった。魑魅魍魎の政治界で生きて、「そのまま」でいられることの貴重さ。素人から見たらそれはとても好感の持てるものなのだけど、一般界とは明らかに異なる政治の世界においては、それは必ずしもいいことではないのではないだろうか。事実、小川議員は重要な役職を掴めていない。

 

小川議員のご両親は、まちの美容院を営んでいて、言ってみたら「普通」の家庭の人たちだ。一方、対抗馬である自民党の平井議員の一族は、地元新聞社の経営者と対照的。小川議員の母は、「社会が彼を必要としていないなら、早くこちらの元に返して欲しい」といい、父も「若い人が政治家を志すのはうれしいことだけど、それが自分の息子となると複雑」と笑う。映画には、小川議員の奥さんや2人の娘さんも登場する。小川議員本人や周辺の人々は、基本的に感じがよく、チャーミングな印象を受ける。テレビで政治家が話すのを見るときに感じる「嫌悪感」が湧かない。そして、そのこともまた、政治家としての物足りなさと裏表なのかもしれない。

 

民主党員としてキャリアをスタートさせたが、2017年に悩みに悩んだ末、小池百合子が立ち上げた希望の党に所属することになり、葛藤はより深くなる。地元の商店街で選挙活動をしていると、老年の男性に裏切り者扱いされるシーンはかなりいたたまれなかった。そもそも、スピーカーで大声を振りまく選挙活動のやり方自体にも疑問を抱いていて、そういう「一般的」な感覚を持っていることも信頼できる。だけど悲しいことに、その逡巡や慎ましさが不要とされる世界なのだ、きっと。

 

年を追うにつれ、監督や小川議員のご両親など周りの人たちは、彼が「議員に向いていないのではないか?」と口に出し始める。それは本人も気づいていることだ。作中で、「僕は政治家になりたいと思ったことは一度もない。でもやらないといけない」と語るように、自分のなかの使命感だけを頼りに、政治家として活動しているようだ。

 

映画の終盤に、地元香川の慎ましやかなアパートで、監督が水を向ける。小川さんは政治家に向いていないんじゃないかと思う、と。「自分には権力や名誉への突き上げるような欲求がない。それが、政治家に向いていないところだと思う」と同意していた。政治家に向いている人には絶対近づきたくないし(縁もないけど)、2時間も大きなスクリーンで姿を観るのも耐えられないと思う。政治に限らず、上昇志向の強い人は平気で人を傷つける傾向にあるので、近寄りたくない。

 

個人的には、小川議員のように誠実な人が政界にいると知れてうれしい。しかし、小川議員本人やその家族の負担を思うと、なんというか、お門違いだろうけど、勝手に心配してしまう。不思議なことに、小川さんが全然老けないので、体が丈夫な方なのかも。奥さんは相応に歳を重ね、娘さんもどんどん成長するのに比べ、小川さんひとりが32歳当時と変わらぬ見た目、体型だったことは、妙な印象を残した。

 

2021年2月3日(水)/おとなしくしてますから

女は映画が安い水曜日だというのに、19時退勤では間に合わない。『花束みたいな恋をした』『燃ゆる女の肖像』『佐々木、イン、マイマイン』が気になってる。マスクして黙って観るんだから、普通に営業してほしい。

 

そういえば、コロナの前は応援上映なんてものもあった。いまになって振り返ると、なんたるユートピア。一度だけ参加したことがあって、恥ずかしくて声は出さなかったけど、それでも楽しかった。観たのは『シン・ゴジラ』。去年の緊急事態宣言ぎり前に観た『ミッドサマー』も、応援上映あったら楽しそうだったのに。

 

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たまに、思いがけない方から「実はブログ読んでます」と声をかけられる。今日もそんなことがあった。うれしさと恥ずかしさで顔がぼわっと熱くなるが、いまはマスクで顔が隠れていて助かる。

 

そしてそういう場合、「気持ち悪いこと言って申し訳ないのですが」というような言葉がよく枕詞として付けられる。こちらからすると、そういう枕詞をつけてくださる方は、気持ち悪くない。遠慮や配慮を感じるからだ。こちらの反応お構いなしにぶつけてくる場合の方がよっぽど気持ち悪い、というか怖い。まあ、そういう人はかなり稀ではあるけれど。

 

ちなみに、かく言う自分はキモさをふりまきながら生きています。好きな作り手の方と直接話す機会があるとやばい。素晴らしいポイントを伝えたい思いが溢れてしまい、先方を引かせてしまったことは数え切れません。すみません。そういうときにおとなしくしていられないのが、自分のやばいところ。